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荏柄天神社

荏柄天神社

社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を開いた源頼朝が、荏柄天神を鬼門(北東)の守護神として社殿を造営。境内は国の史跡に。

鎌倉幕府、北条氏康も守護した東国を代表する天満宮

荏柄は、相模国鎌倉郡荏草郷(えがやのごう)が「えがら」に転訛したものと推測されています(平安時代編纂の『和名類聚抄』には鎌倉郡には沼浜、鎌倉、崎立、荏草、梶原、尺度、大嶋の7郷があると記されています)。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』(あづまかがみ)には、鎌倉幕府2代将軍・源頼家が大江広元を奉幣使として、菅原道真300年忌を斎行させたとあり、鎌倉幕府の力の入れようがよくわかります。

中世には足利、北条家にも尊崇され、天文17年(1548年)、小田原城主・北条氏康(ほうじょううじやす)は、社殿造営のため、金沢街道に関所を設け、通行する人馬から関銭を徴収してこれに充てています。

戦国時代には、豊臣秀吉、徳川家康が社地の寄進を行なっています。
江戸時代までは神仏習合で、別当一乗院(古義真言宗)が神社を管理していましたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈で廃寺となり、寺跡は住宅地になっています。

明治6年に二階堂村の鎮守として村内の熊野社を合祀。
村社となって歴史的な神社として今に続き、愛知県に2社、広島県に1社、茨城の古河市を中心に千葉、埼玉の各県にわたって数社の分社があります。

正和5年(1316年)建立と伝わる本殿は国の重要文化財

寛永元年(1624年)、鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を移築した本殿は、正和5年(1316年)に建立されたものと推測され、国の重要文化財。
木造天神坐像も弘長元年(1261年)の銘があり、国の重要文化財です。

神門を入ると境内には推定樹齢1000年、根回り6.5m大イチョウがあり、その大きさは鎌倉一といわれ、黄金色に変わる晩秋は見事。
鎌倉ペンクラブ会員・横山隆一などの漫画家が建立した絵筆塚には、154人の漫画家によるカッパのレリーフが付けられています。
清水崑が自ら愛用した絵筆を納めた「カッパ筆塚」は、表に清水崑の河童の絵、裏には川端康成氏の『かっぱ筆塚』の題字というユニークなもの。
御神木の大イチョウの下に尾崎迷堂の句碑「大慈咲き大悲さきたるさくらかな」も立っています。

学問の神様として受験シーズンには合格祈願の人々で賑わいますが、事前に申し込んでおけば、受験日当時、受験合格を祈願しての早朝祈祷を行なってくれます(前日までに申し込み)。

毎月25日が天神様の縁日で、1月25日に『初天神』、『例大祭』は7月25日、12月25日に『終い天神』(しまいてんじん)となっています。
2月8日には『針供養』が行なわれています。

ちょうど受験のシーズンになると境内に梅が咲き、朱塗りの社殿両脇には紅梅、白梅が、社殿をはさんで咲き競います。

日本遺産「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」の構成資産になっています。

荏柄天神社
名称 荏柄天神社/えがらてんじんじゃ
Egaraten Jinsha Shrine
所在地 神奈川県鎌倉市二階堂74
関連HP 荏柄天神社公式ホームページ
電車・バスで JR鎌倉駅から京急バス大塔宮行きで、天神前下車、徒歩3分。
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5km
駐車場 鎌倉宮横駐車場(20台/有料)
問い合わせ 荏柄天神社 TEL:0467-25-1772
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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