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清閑亭

清閑亭

神奈川県小田原市にある歴史的建造物が清閑亭(せいかんてい)。明治39年、真鶴半島や伊豆大島を眺望する小田原城三の丸外郭に建てられた、政治家(建築当時は貴族院副議長)・黒田長成(くろだながしげ)の別邸。敷地は小田原城の一部で国の史跡。母屋が国の登録有形文化財になっています。

政治家・黒田長成の別邸

明治時代に、小田原から大磯にかけての海岸沿いには政治家や財界人の別荘地となっていました。
明治34年には小田原城二の丸御殿跡(現・二の丸広場)に小田原御用邸が建築され(関東大震災で大破し、昭和5年に廃止)、皇室関係者も小田原に滞在するようになったのです(神奈川県内には葉山御用邸のほか、小田原御用邸、鎌倉御用邸、明治天皇が愛した横浜御用邸、現在では富士屋ホテルの和風別館「菊華荘」として使用される宮ノ下御用邸がありました/三浦の初声御用邸は昭和恐慌で建設が頓挫)。

清閑亭を建てた黒田長成の父・黒田長知(くろだながとも)は、筑前福岡藩の最後の藩主。
黒田家の本邸は東京・赤坂にあり(筑前福岡藩の江戸中屋敷/現・赤坂2丁目の高台)、黒田長成も父・長知の隠居で、12歳で黒田家家督を相続し、赤坂の本邸で暮らしています。
ケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学し、卒業後、貴族院議員(黒田長成は侯爵)となり、貴族院副議長を30年の長きにわたり務めています。

小田原に別邸を建築したのは、小田原御用邸と同様に、避暑、避寒のため(小田原のほか、沼津、大磯、福岡にも別邸がありました)。

小田原の別邸、清閑亭は、数寄屋風の造りの平屋、2階建ての和風建築という比較的に質素な外観ですが、内部には板襖絵(いたふすまえ)や網代天井(あじろてんじょう)などの意匠が施されています。

清閑亭は、平成19年に小田原市が取得し、平成22年から一般公開されています。
黒田長成は、昭和14年8月14日に没していますが、毎年命日の8月14日には、清閑亭で『桜谷忌』関連の桜谷忌講演会などを実施。
小田原には旧田中光顕別邸(現・小田原文学館)、松永安左ヱ門旧邸・老欅荘(現・松永記念館老欅荘)、旧大倉喜八郎旧別邸・共寿亭(割烹旅館「山月」休業で非公開)や政財界の要人も利用した文久2年(1862年)の創業の料亭「清風楼」も残されているので別邸巡りを楽しむことができます。

清閑亭
名称 清閑亭/せいかんてい
所在地 神奈川県小田原市南町1-5-73
関連HP 小田原市公式ホームページ
電車・バスで JR・小田急線小田原駅から徒歩15分
ドライブで 西湘バイパス小田原ICから約2km。小田原厚木道路小田原東ICから約5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 清閑亭 TEL:0465-22-2834/FAX:0465-22-2834
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

小田原文学館

神奈川県小田原市、西海子公園にある北原白秋や坂口安吾など、小田原ゆかりの文学者を紹介するミュージアムが小田原文学館。幕末には勤王の志士で、維新後に警視総監、会計検査院長、宮内大臣などを務めた田中光顕(たなかみつあき)の別邸を再生したもの。南

 

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