日本のパン文化は、安土桃山時代にポルトガルの宣教師によって日本に伝来。だからブレッドではなく、ポルトガル語のパン(pão)に由来する言葉に。しかし、開国以降の近代では、横浜の居留地で文久元年(1861年)に「お貸長屋」(現在の横浜開港資料館周辺)で内海兵吉が和風パン屋「富田屋」を開業したのが日本のパンのはじめて物語。
日本人初のパン屋は、フランス流のパンを販売
内海兵吉は、フランス山に駐留するフランス連隊、フランス軍艦ドルドーニュ号のコックから手ほどきを受け、小麦粉を原料に、パンのようなものを焼きました。
当初は焼きまんじゅうのようなものだったとか。
信州にある「おやき」のようなものだったのかもしれません。
内海兵吉は、これを「拳骨(げんこつ)パン」と称して発売したのです。
フランス人に習ったことからフランス語のPain(パン)をそのまま使っていたようです。
「お貸長屋」は、幕府が用意した外国人用の貸長屋のこと。
ドイツ商人クニフラーも安政6年(1859年)に横浜最初の商社を貸長屋に開いています。
文久2年(1862年)にはアメリカ人W.グッドマンが「横浜最初のヨーロッパ風パン屋」を開店させ、慶応元年(1865年)8月には、イギリス人ロバートクラークが「横浜ベイカリー」を開き、35年パンを焼き続けています。
「横浜ベイカリー」は、明治8年に打木彦太郎が継承していますが、これが今も元町にある「ヨコハマベーカリーウチキ商店」のルーツです。
イギリス式の食パンが横浜の主流となると、パンは、ブレーデとか、ブレートと呼ばれるようになりました。
御影石でできた「近代のパン発祥の地」碑は、横浜市綜合パン協同組合と全日本パン協同組合連合会が平成28年に日本大通りの「富田屋」があったとされる一画に建立したもの。
近代のパン発祥の地 | |
名称 | 近代のパン発祥の地/きんだいのぱんはっしょうのち |
所在地 | 神奈川県横浜市中区日本大通7 |
電車・バスで | JR桜木町駅、またはJR・横浜市営地下鉄関内駅から徒歩15分 |
ドライブで | 横浜高速鉄道みなとみらい線日本大通り駅から徒歩3分 |
駐車場 | 市営日本大通り地下駐車場(200台/有料)などを利用 |
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