サイトアイコン ニッポン旅マガジン

横浜北水堤灯台

横浜北水堤灯台

神奈川県横浜市、横浜港北水堤の先端に建つ赤灯台が横浜北水堤灯台(よこはまきたすいていとうだい)。横浜が貿易港として発展するために築かれた航路を進む船へ港の入り口を示す防波堤灯台。明治29年5月16日に初点灯という歴史ある灯台で、完成当初は石油を灯明にしていました(現在はLED灯器)。東京湾最古となる現役灯台です。

 防波堤に設置された日本最初の灯台

灯台は鉄製4層構造ですが、内部は往時のままに板張りです。
関東大震災以後、下層部分を鉄筋コンクリートに補強されていますが、その上の層は明治期のつくりと変わっていません(海上保安庁の保存灯台Bランク)。
防波堤に設置された日本最初の灯台であるとともに、日本最古の防波堤灯台にもなっています。

灯火は石油ランプ、ガス灯器、白熱電球、そして現在のLED灯器と変遷。
近年の調査で、戦時中には、電波点消灯装置を使い、遠隔操作によってガス灯器の点灯、消灯を行なっていたこともわかっています。
灯火部分は、海面から15mの位置にあり、2秒間光った後に2秒間消え、4海里(7.4km)沖で照らしています。

横浜北水堤灯台が建っているのはイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer=横浜上水道建設に活躍)の設計で明治29年5月に完成した内防波堤。
明治29年の完成当時は、全長1829mの北水堤、全長1640mの東水堤が横浜港を取り囲み、北水堤先端には赤灯台が、東水堤先端には白灯台と紅白の灯台が配されていました。

現在では埋め立てにより、北水堤は1039mと短くなり、東水堤は、大部分が山下ふ頭(昭和38年完成)に取り込まれ、山下ふ頭沖に361mが現存するのみとなっています。
対を成していた白色の横浜東水堤灯台は、山下公園の氷川丸の隣に移設され、記念灯台として保存。

横浜北水堤灯台は山下公園、そして赤レンガ倉庫からよく見えるので、横浜の歴史を知るためにも、お見逃しなく。

ちなみに、現在の横浜港には、横浜大黒防波堤東灯台、横浜大黒防波堤西灯台、横浜外防波堤南灯台、横浜外防波堤北灯台、横浜本牧防波堤灯台、横浜大黒ふ頭船だまり波除堤灯台など10ヶ所に防波堤灯台が置かれています。

横浜北水堤灯台
名称 横浜北水堤灯台/よこはまきたすいていとうだい
所在地 神奈川県横浜市横浜港
電車・バスで JR桜木町駅から徒歩15分で赤レンガ倉庫。横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩4分で山下公園
ドライブで 首都高速横羽線みなとみらいランプから約1.8kmで横浜赤レンガパーク駐車場。首都高速横羽線横浜公園ランプから約2kmで山下公園
駐車場 横浜赤レンガパーク駐車場(179台/有料)、山下公園駐車場(223台/有料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

横浜赤レンガ倉庫

横浜港・新港地区のシンボリックな風景のひとつが、横浜赤レンガ倉庫。新港埠頭脇に、古めかしくも美しいかつての2棟の倉庫が連なっています。明治32年、新港埠頭建設により、物資の一時保管場所として建てられたのが始まりで正式名は新港埠頭保税倉庫。設

山下公園

横浜港に面した1kmほどに、芝生の広場やベンチが置かれたプロムナードが続く山下公園。もともとはフランス波止場があった場所で、関東大震災の復興事業として瓦礫で造成された日本初の臨海都市公園(昭和5年開園)。関東大震災の際に生まれた瓦礫類はここ

旧横浜東水堤灯台

神奈川県横浜市、山下公園の氷川丸を係留する特設桟橋先端に移設保存される明治時代の灯台が旧横浜東水堤灯台。横浜が貿易港として発展するために築かれた航路を進む船へ港の入り口を示す防波堤灯台として横浜港北水堤の先端に建つ赤灯台とともに建設されたも

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了