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小田原文学館

小田原文学館

神奈川県小田原市、西海子公園にある北原白秋や坂口安吾など、小田原ゆかりの文学者を紹介するミュージアムが小田原文学館。幕末には勤王の志士で、維新後に警視総監、会計検査院長、宮内大臣などを務めた田中光顕(たなかみつあき)の別邸を再生したもの。南欧風の本館、別館ともに国の登録有形文化財。

「文学のまち」小田原ゆかりの文学者を紹介

スペイン風外観の本館(鉄筋コンクリート3階建て)は、曾禰中條建築事務所の設計で、昭和12年、田中光顕が94歳のときに完成。
辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生・曾禰達蔵(そねたつぞう)と、ケンブリッジ大学で建築を学んだ中條精一郎が明治41年につくった設計事務所。
スパニッシュ瓦葺きで、東南隅にサンルーム、3階のベランダやパーゴラが配され、モダニズムの特徴を示しています。

小田原は、冬温暖で、夏は海風が吹くという気候を生かし、明治34年〜昭和5年まで、小田原城の二の丸跡に小田原御用邸があり、多くの貴族や実業家、文学者が別荘を建てていました。
とくに小田原文学館の建つ、西海子小路(さいかちこうじ)周辺には、多くの文学者が暮らしていました。

そのため、小田原は、「文学のまち」といわれるほどで、北村透谷、尾崎一雄、福田正夫、川崎長太郎などの文学者を輩出。

本館1階の第1・第2展示室では、北村透谷、尾崎一雄、川崎長太郎、2階の第3展示室では、牧野信一、北原武夫、薮田義男、福田正夫ら小田原出身の文学者の資料を展示しています。
2階第の4展示室では、谷崎潤一郎、三好達治、北條秀司ら小田原西海子周辺に居住して執筆活動を行なった小田原ゆかりの文学者を紹介。

別館は、大正13年建築の数寄屋風の和風建築で、「白秋童謡館」になっています。
北原白秋も、大正7年3月(33歳の時)、小田原・伝肇寺の境内に「木兎の家」という茅葺きの家を建て、大正15年5月までここで数多くの童謡を生み出しています(「木兎の家」は関東大震災で倒壊、跡地は「みみずく幼稚園」に)。
大正7年、鈴木三重吉の『赤い鳥』が創刊されていますが、そのなかで北原白秋は童謡コーナーを担当、小田原時代に『赤い鳥小鳥』、『からたちの花』、『ペチカ』、『砂山』(大正11年、新潟に招かれた際に誕生)、『待ちぼうけ』などの名作を生み出しています。

小田原文学館・西海子小路から小田原駅西口までの間は、「白秋童謡の散歩道」として、小田原で多くの童謡を創作した北原白秋の足跡をたどる散歩道として整備されています。

また小田原文学館の敷地内には尾崎一雄邸書斎も移築。

小田原文学館
名称 小田原文学館/おだわらぶんがくかん
所在地 神奈川県小田原市南町2-3-4
関連HP 小田原市公式ホームページ
電車・バスで JR・小田急線小田原駅から徒歩20分
ドライブで 西湘バイパス小田原ICから約2km。小田原厚木道路小田原東ICから約5km
駐車場 7台/無料
問い合わせ 小田原文学館 TEL:0465-22-9881
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

清閑亭

神奈川県小田原市にある歴史的建造物が清閑亭(せいかんてい)。明治39年、真鶴半島や伊豆大島を眺望する小田原城三の丸外郭に建てられた、政治家(建築当時は貴族院副議長)・黒田長成(くろだながしげ)の別邸。敷地は小田原城の一部で国の史跡。母屋が国

 

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