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小机城

小机城

神奈川県横浜市港北区小机町、東海道新幹線新横浜駅の西2kmほどのところにある中世の城跡(平山城)が、小机城(こづくえじょう)。鶴見川に臨む城跡は、第三京浜道路の建設の際に本郭の一部が破壊されるなど改変されていますが、小机城址市民の森として整備され、続日本100名城にも選定されています。

新横浜に続日本100名城選定の城跡が!

山麓から見上げる小机城

小机城は、永享の乱(えいきょうのらん)を契機に、永享11年(1439年)頃、上杉憲実(うえすぎのりざね=山内上杉家8代、足利学校や金沢文庫を再興)が築いたとされる平山城。

永享の乱は、鎌倉公方(かまくらくぼう=室町幕府の関東統治機関の長)の足利持氏(あしかがもちうじ)と関東管領(かんとうかんれい=鎌倉公方の補佐役で上杉氏が世襲)の上杉憲実の対立に端を発し、室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が足利持氏討伐を命じた戦乱。

文明8年(1476年)、関東管領上杉氏の有力家臣・長尾景春(ながおかげはる)による反乱(長尾景春の乱)で、小机城には長尾景春の味方をした豊嶋氏が籠城し、敵方の太田道灌(おおたどうかん)が小机城を攻撃をし、2ヶ月を費やして落城させています。

戦国時代には、相模国を平定した北条早雲の跡を継いだ北条氏綱(ほうじょううじつな)が小机城を修復、五家老のひとり、笠原信為(かさはらのぶため)が城主として配置され、家臣団・小机衆(こずくえしゅう)が組織されています。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、小机衆も小田原城の籠城戦に参加したため、落城。
徳川家康の関東入府で廃城となっています。

現在2つの小山、つまり主要な2つの郭が残されていますが、どちらが主郭だったのかは定かでありません(現地表記などでは西側の郭を「本丸」としています)。
史跡指定はされていませんが、4.6haが小机城址市民の森として、本丸、二の丸の郭、空壕、土塁、井楼跡、櫓跡などが残され、南側麓の根古屋広場から本丸広場、二の丸広場を周回する遊歩道が整備されています。

駐車場はないので、公共交通機関の利用がおすすめです。

小机城
名称 小机城/こづくえじょう
所在地 神奈川県横浜市港北区小机町789
電車・バスで JR小机駅から徒歩15分
ドライブで 第三京浜道路横浜港北ICから約1.5km
駐車場 なし/JR小机駅周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 港北観光協会 TEL:045-540-2234
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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