神奈川県横浜市都筑区、港北ニュータウンにある弥生時代中期の大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき/国の史跡)一帯を公園として整備したのが大塚・歳勝土遺跡公園。大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落、歳勝土遺跡は、方形周溝墓群で、それぞれが園内に保存、復元されています。
弥生時代中期のムラと墓地が公園に!
昭和47年、横浜市六大事業のひとつとして開発が進められた港北ニュータウンの事前調査で、大塚遺跡(200m×130m、弥生時代の環濠集落)、歳勝土遺跡(方形周溝墓群)が発見され、環濠集落とその墓地という関係も明らかになりました。
弥生時代中期、85軒ほどの家のあったムラ(竪穴住居の6割に重複関係があるため同じ時期にはおよそ150人ほどの人が暮らしていたと想定されています)の周囲に環濠が巡らされているのは、あくまで外敵からの防御のため。
収穫物や耕作地の水利を巡ってムラ同志の争いが始まった時代で、ムラの発展とともに環濠が築かれるようになったのです。
方形周溝墓は、低い四角形の盛り土と、その四辺を溝で囲んだ形が特長の墓で、弥生時代から古墳時代前期に全国で築かれています。
弥生時代の大規模な環濠集落が完全な形で発掘されたことから、大塚遺跡の東側3分の1、そして歳勝土遺跡を公園として保存したのが、大塚・歳勝土遺跡公園なのです(大塚遺跡の中央部・西側は開発によって高台ごと削り取られてしまい、消滅)。
大塚遺跡(環濠集落)では、竪穴住居跡27基を保存し、うち7軒を復元、高床式住居は10棟のうち1棟を復元(大塚遺跡全体では90棟の竪穴住居跡と、10棟の高床式倉庫跡が発見されています)、さらに集落を取り囲んだ環濠のうち250mを復元しています。
歳勝土遺跡(方形周溝墓群)では方形周溝墓25基のうち、5基を保存復元。
隣接して「横浜市歴史博物館」が建っています。
園内路の主要な部分は車椅子で通行可能(障害者対応駐車場を利用の際は、横浜市歴史博物館に事前に連絡を)。
ショッピングモールのノースポート前の道路を渡った林の中にあるので、買い物帰りの立ち寄りも可能。
大塚・歳勝土遺跡公園内には、都筑民家園もあり、都筑郡牛久保村(現・都筑区牛久保町)にあった旧家・長沢家の住宅を移築した「旧長沢家住宅」もあるので、あわせて見学を。
関東地方の環濠集落
関東では弥生時代中期以前の環濠集落の出現例はなく、弥生時代の中期末以降に、大塚遺跡、朝光寺原遺跡(ちょうこうじばらいせき/横浜市青葉区、市街化で現存せず)、権田原遺跡(横浜市都筑区、市街化で現存せず)、砂田台遺跡(秦野市南矢名/秦野精華園周辺、市街化で現存せず)、飛鳥山遺跡(東京都北区、飛鳥山公園)、国府台遺跡(千葉県市川市)、六崎大崎台遺跡(千葉県佐倉市/市街化で現存せず)、道庭遺跡(千葉県東金市、市街化で現存せず)と、環濠集落が爆発的に増大しています(大部分は市街化で消滅)。
大塚・歳勝土遺跡公園 | |
名称 | 大塚・歳勝土遺跡公園/おおつか・さいかちどいせきこうえん |
所在地 | 神奈川県横浜市都筑区大棚西1 |
関連HP | 横浜市歴史博物館公式ホームページ |
電車・バスで | 横浜市営地下鉄センター北駅から徒歩10分 |
駐車場 | 横浜市歴史博物館駐車場(有料)を利用 |
問い合わせ | 横浜市歴史博物館 TEL:045-912-7777/FAX:045-912-7781 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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