坂本龍馬は、沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)とともに、1862(文久2)年3月24日の夜、高知城下を出奔し、翌25日に檮原(ゆすはら)に到着。翌26日早朝に檮原を出立、檮原の勤王の志士、那須俊平・信吾父子の道案内で宮野々番所、松ヶ峠番所を抜けて予土国境・韮ヶ峠を越えて伊予国(愛媛県)へと抜けています。
坂本龍馬はこの峠を超えて土佐から伊予へと脱藩
これが坂本龍馬脱藩の道で、当時の檮原村には12ヶ所の道番所があったため、脱藩は容易ではなかったと想像できます。
現在、韮ヶ峠には県道379号(韮ヶ峠文丸線)が通じているので、ドライブでの到達も可能です。
標高955m、四国の脊梁山脈を越える峠道は脱藩の道の中でも最難関だったろうと推測されます(檮原集落との標高差は550mもある)。
現在、「雲の上の町 ゆすはら」とPRする檮原町ですが、往時には困難な峠越えの道でした。
峠には脱藩の道案内図が設置されているほか、峠の前後には龍馬の歩いた旧道も残されているので、時間が許せばぜひ歩いてみたい道です。
坂本龍馬脱藩の道
龍馬脱藩の道についてはいくつかの説があり、実は定かでありません。
沢村惣之丞が脱藩道筋を書いた文書『覚 関雄之助口供之事』によれば、文久2年(1862年)3月26日、坂本龍馬と沢村惣之丞は四万十川から韮ヶ峠を経て脱藩したことが記されており、目下、このルートが「坂本龍馬脱藩の道」とされています。
那須俊平・信吾邸跡→(徒歩10分/1km)→六志士の墓→(徒歩10分/0.5km)→旧掛橋和泉邸→(徒歩10分/1km)→神幸橋(みゆきばし)・三嶋神社→(徒歩20分/2km)→ 維新の門(維新の群像)→(徒歩40分/4km)→宮野々番所跡→(徒歩2時間/8.5km)→茶や谷の茶堂→(徒歩15分/0.5km)→松ヶ峠番所跡→(徒歩2時間10分/6km)→韮ヶ峠(予土国境)
韮ヶ峠 | |
名称 | 韮ヶ峠/にらがとうげ |
所在地 | 高知県高岡郡檮原町井高 |
関連HP | ゆすはら雲の上観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 高知自動車道(須崎道路)須崎西ICから約64km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 梼原町生涯学習課 TEL:0889-65-1350 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材・画像協力/高知県
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