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前浜掩体群

掩体壕(えんたいごう)とはコンクリート製かまぼこ型シェルターのこと。高知龍馬空港のすぐ西側、大湊小学校、大湊保育園一帯は、かつての高知海軍航空隊の基地だった場所。そこに7基の掩体壕が現存しており、前浜掩体群と呼ばれています。アプローチが便利なのは、5号掩体公園(南国市前浜1739)。

第二次世界大戦中の戦闘機格納庫群

実は、高知の玄関口、高知龍馬空港の滑走路も高知海軍航空隊の滑走路をそのまま拡張して使用しているのです(往時は1400m、現在は2500mに延長)。
滑走路は現在使われている滑走路の他、三角形を形成してほかにも2本ありましたが、いずれも車道となって残されているので地図で確認を。

基地から西側の田園地帯に掩体壕と呼ばれる防空壕になった格納庫が41基(中型15基、小型9基、W型17基)も配されており、網の目のように誘導路が設けられていたのです。

現在は田んぼの中に7基が残存し、南国市の史跡として保存されています。
いちばん大きい4号掩体壕は、幅44m、奥行き23m、高さ8mと、現存する日本最大級の掩体壕となっています。
他の掩体壕の大きさはほぼ同じで幅22m、奥行き12m、高さ5mほどです。

高知海軍航空隊は、偵察機に搭乗するまでの練習を行なう部隊で、白菊という練習機を使っていました。
太平洋戦争戦争末期の昭和20年5月以降には鹿屋飛行場に移り、練習機である白菊に爆弾を2個のせて、神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊として特攻作戦に参加するという悲しい歴史も秘めています。

現存するおもな掩体壕は千葉県茂原市(11基)、大分県宇佐市(10基)、高知県南国市(7基)、北海道根室市(6基)、千葉県柏市(6基)、千葉県匝瑳市(4基)などです。
千葉県印西市にも多くの掩体壕がありましたが千葉ニュータウンの建設などで数基を残して失われています。

掩体壕はどうやって造られた!?
まず掩体壕と同じ大きさの土を盛ります。
その上を人海戦力で踏み固めます。
固めた土の上に筵(むしろ)やセメント袋を敷き詰めます(掩体壕の天井をよく観察すると筵の跡などがわかります)。
その上にセメントを流し込んで固めます。
セメントが固まったら内部の土を除いて完成です。
この作業は、地元の女性や、中学生、高知刑務所の受刑囚、そして朝鮮半島からの強制労働で連れてこられた朝鮮人労働者たちが担いました。
前浜掩体群
名称 前浜掩体群/まえはまえんたいぐん
所在地 高知県南国市前浜
関連HP 南国市公式ホームページ
ドライブで 高知自動車道南国ICから約11km。または、高知ICから約15km
駐車場 南国市前浜公民館駐車場を利用
問い合わせ 南国市生涯学習課 TEL:088-880-6569
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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