熊本県天草市にある「天草の﨑津集落」は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっています。日本の渚百選「キリシタンの里 﨑津」、日本のかおり風景100選「河浦 﨑津天主堂と海」にも選定されるほか、隣の今富集落とともに、「天草市﨑津・今富の文化的景観」として国の重要文化的景観に指定。
世界遺産登録の理由を理解し、マナーを守って散策を
天草市河浦町の世界文化遺産に登録の「天草の﨑津集落」は、江戸時代にキリスト教が禁止された禁教時代に、キリスト教が潜伏するかたちで仏教、神道と共存し、漁村特有の信仰形態を育んだ集落です。
永禄12年(1569年)、イエズス会修道士のルイス・デ・アルメイダ神父(Luís de Almeida)によって布教が開始され、ほとんどの村人がキリスト教に入信しています。
もともと遣唐使船が避難港として使うような天然の良港という歴史があるので、外部の文化を取り入れる進取の気性があったのだと推測できます。
集落内には教会堂や宣教師のレジデンシア(住居)が作られ、教会を支援する信仰組織として3つの小組からなるコンフラリア(信仰組織)が形成されました。
戦国時代の領主がキリシタン大名である小西行長も幸いし、信仰拠点となったのです。
江戸時代初期の寛永15年(1638年)、禁教令が発布され、厳しい絵踏(えぶみ)が行なわれるようになるとキリシタンたちは信教を捨てることなく、潜伏する道を選びます。
禁教時代に、﨑津の人々は七福神としても祀られる大黒天や恵比須神をキリスト教の唯一神であるデウスに見立てて厳しい弾圧を逃れ、アワビ、タイラギの貝殻の内側の模様を聖母マリア像とするなど、漁村特有の生活や生業に根差した身近なものをキリシタンの信心具(しんじんぐ)として代用して信仰を守り続けました。
﨑津集落では、激しい弾圧を受けながらも明治維新に至るまで240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰を守り続けたのです。
教会の背後に建つ﨑津諏訪神社は、禁教時代に祈りを捧げた場所のひとつ。
﨑津集落の見学は、﨑津集落ガイダンスセンターに車を入れて徒歩で。
また、集落は生活の場でもあるので、マナーを守って静かに見学を。
とくに﨑津教会は信仰の場なので堂内・外で騒ぐことは厳禁です。
﨑津集落 | |
名称 | 﨑津集落/さきつしゅうらく |
所在地 | 熊本県天草市河浦町崎津 |
関連HP | 天草市公式ホームページ |
電車・バスで | 富岡港から天草産交バス一町田行きで1時間15分、教会入口下車、すぐ |
ドライブで | 富岡港から約28km。または、九州自動車道松橋ICから約104km |
駐車場 | 﨑津集落ガイダンスセンター(19台/無料)、臨時駐車場(90台/無料) |
問い合わせ | 﨑津集落ガイダンスセンター TEL:0969-78-6000 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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