熊本県天草市五和町(いつわまち)にあるキリシタン墓碑群がぺーが墓。天草地域には1088基のキリシタン墓碑が確認されていますが、うち991基は五和町のもので、ぺーが墓はその代表的な存在です。戦国末期(禁教令前)〜17世紀中頃の墓碑ではないかと推測されています。
「パーテル」(神父)の墓の可能性も
「ペー」とは洗礼名の一部であろうと推測されてきましたが、神父(Padre)を指す「ペーター」(ラテン語、古いスペイン語などで神父は「パーテル」)などの意味ともとれ(とすれば神父の墓ということに)、定かではありません。
墓石は、いずれも地元の溶結凝灰岩(天草のキリシタン墓碑群の共通)。
中央の墓石には、算用数字18が記され、12基の墓碑のうち、表面に十字を刻んだものも確認できます。
昔はこの一帯に近づくことはタブー視されていたとのことで、禁教時代の名残なのかもしれません。
里人からタブー視され、近寄る人がいなかったため、農地などへの転用や開発を免れ、独立した墓所として、当時の原形をそのままとどめているのです。
天草市の文化財に指定されるキリシタン墓碑群は、「ぺーが墓」とその西側に位置する「岩宗のキリシタン墓碑群」(9基)の2ヶ所。
山頂をなだらかに平地化した土地に、長方形の板状の墓碑が配列するのがキリシタン墓地の特徴です。
保存のため、百数基は、鬼の城キリシタン墓碑公園に集められています。
五和町にキリシタン墓地が集中するのは、戦国時代の16世紀中頃、最初の宣教師を招いたキリシタン領主が、領土の端となる五和町に墓所を築いたからだと推測されています。
ぺーが墓(キリシタン墓碑群) | |
名称 | ぺーが墓(キリシタン墓碑群)/ぺーがはか(きりしたんぼひぐん) |
所在地 | 熊本県天草市五和町御領釜の迫 |
関連HP | 天草市公式ホームページ |
ドライブで | 鬼池港から約6km。本渡港から約7km。九州自動車道松橋ICから約77km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 天草市観光文化部文化課 TEL:0969-32-6784/FAX:0969-23-5312 |
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