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龍安寺

徳大寺家の別荘だったものを1450(宝徳2)年、細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めたのが龍安寺。応仁の乱の際に焼失後、勝元の子・政元が再興。1499(明応8)年に方丈が再建され、このとき方丈庭園としての有名な石庭が築庭されたと推測されています。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ。

「龍安寺の石庭」で有名な禅苑の名刹

豊臣秀吉もたびたび参詣に訪れ、自らの手による制札(せいさつ)「庭の石、植木以下取るべからざる事」が残されています。1797(寛政9)年の大火で、方丈、仏殿、開山堂が再び焼失。

現在の方丈は、1799(寛政9)年の火災で失われた後、塔頭である西源院の方丈を移築したもので、国の重要文化財。
昭和30年頃に皐月鶴翁によって描かれた襖絵が見事です(往時の狩野派の襖絵は、明治維新の廃仏毀釈時に失われてしまいました)。
この方丈の前庭(国の史跡・国の特別名勝)は、枯山水式石庭として、世界的に有名です。

三方を築地塀に囲まれた庭園は、「虎の児渡しの庭」とも呼ばれています。
方丈の前面に白砂を敷き、大小15の石を5群に分けて配置し、広さ100坪の小宇宙を創出。

石庭に咲くベニシダレは、平成24年のJR東海「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンのポスターやテレビCMで紹介された桜。
見頃は例年4月中旬頃です。

鏡容池を中心とする龍安寺庭園も見事

龍安寺庭園の鏡容池
「知足の蹲踞」

方丈の東庭には龍安寺垣があり、その横に豊臣秀吉が賞賛したと伝わる侘助椿(わびすけつばき)があります。
侘助椿は3月上旬〜4月上旬に開花。

茶室蔵六庵の露地にある「知足の蹲踞」(つくばい=茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢)は、水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門)

また、境内の前面を占める鏡容池(きょうようち)を中心とする龍安寺庭園(国の名勝)は、スイレンなど、四季折々の花が美しく、石庭とは違う華やかさがあります。
平安時代、徳大寺家の別荘時代にはここに舟を浮かべて遊んだことが記録に残されています。
鏡容池の島には真田幸村の供養塔も築かれています。

謎に包まれた枯山水庭園(方丈庭園)
枯山水庭園(正式には方丈庭園)は、東西25m、南北10mの長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3に配置したもの。
「七五三の庭」などともいわれ様々な解釈がされていますが、作者の具体的な意図は不明。
しかも誰が庭をデザインしたのか、作庭の時期や作庭者すらいまだに推測の域を出ていません。
平坦に見える庭ですが、水はけがいいように東南角が低くなっています。
西側の塀は手前から奥に向けて低くなった造り。
つまりは遠近法を巧みに取り入れ視覚的な奥行きを演出しているのです。
周囲に巡らされた土塀は菜種油を練り込んだ油塀(姫路城にも油壁が現存しています)。
これも白砂からの照り返しなどによる劣化を防ぐ工夫なので、作庭者はかなりの知恵者と断言できます。
これだけの設計思想を有する庭なのに今だ作者すら分かっていないのは、まさに謎!

龍安寺 3つのチェックポイント

世界遺産「古都京都の文化財」構成資産
世界的に有名な石庭は今も作者不明!
秀吉が賞賛の侘助椿(わびすけつばき)

龍安寺
名称 龍安寺/りょうあんじ
Ryoanji Temple
所在地 京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13
関連HP 龍安寺公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄烏丸線今出川駅から市バスで26分、龍安寺前下車、徒歩1分で山門。または京福北野線龍安寺道駅から徒歩10分で山門
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約12km
駐車場 龍安寺駐車場(80台/石庭拝観者に限り、1時間程度無料)
問い合わせ 龍安寺 TEL:075-463-2216/FAX:075-463-2218
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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