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海住山寺

海住山寺

京都府木津川市加茂町、三上山(海住山)の中腹に立つ古刹が海住山寺(かいじゅうせんじ)。天平7年(735年)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願で、東大寺初代別当の良辨(ろうべん)僧正が一堂を建て、十一面観世音菩薩を安置したのが始まり。五重塔は鎌倉時代初期の建保2年(1214年)築で国宝です。

寺伝では聖武天皇の夢告を受けて良辨が創建

寺伝によれば、聖武天皇は平城京の鬼門封じのとして、東大寺大仏の造立が無事成就することを願い、東大寺初代別当の良辨(良弁)に命じて十一面観音を本尊に藤尾山観音寺(貞慶による中興の際に海住山寺と改称)を創建したと伝えられています。

平安末期に一時荒廃しましたが、承元2年(1208年)に笠置山の貞慶(じょうけい)上人が再興、塔頭(たっちゅう=子院)58を数えるまでに繁栄しました。
豊臣秀吉の検地によって経済的な痛手を受け、規模は大きく縮小しています。

国宝の五重塔は、昭和38年の解体修理で初重の屋根の下に裳階(もこし=軒下壁面に付いた庇状構造物)が復元されていますが、このスタイルは法隆寺とここだけもの。
寺の周囲を流れる大井手用水路(水不足で悩む村人の救済に和束川から引水した用水/「疏水百選」選定)も五重塔と同じ慈心上人の造営です。

本尊の十一面観音像、文殊堂、絹本著色法華曼荼羅図、海住山寺文書が国の重要文化財。

加茂には聖武天皇が開いた恭仁京があった!

天平12年12月15日(740年1月6日)、聖武天皇によって平城京から遷都し恭仁京(くにきょう・くにのみや)が置かれた場所が、現在の木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)。
わずか3年間の都ですが、教科書にも登場する大仏建立の詔、国分寺・国分尼寺建立の詔は、実は平城京(奈良)ではなく、この恭仁京で出されたもの。

海住山寺は都のあった瓶原を見下ろす場所に立地しているのです。
良弁僧正がこの地を選んで堂を建てたのは、都(恭仁京)と密接な関係があると推測できます。「みかの原わきて流るる泉川(いづみがは) いつみきとてか恋(こひ)しかるらむ」は、小倉百人一首に収められた藤原兼輔 (ふじわらのかねすけ)の歌で瓶原を歌ったもの。

名称 海住山寺/かいじゅうせんじ
所在地 京都府木津川市加茂町例幣海住山20
関連HP 海住山寺公式ホームページ
電車・バスで JR加茂駅から奈良交通バス和束町小杉行きで5分、岡崎下車、徒歩40分
ドライブで 京奈和自動車道山田川ICから約10km
駐車場 30台/無料
問い合わせ TEL:0774-76-2256
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

恭仁京大極殿跡

京都には平安京以前に、恭仁京(くにきょう)、長岡京が置かれていますが、最初に配されたのが聖武天皇時代の恭仁京です。現在の木津川市加茂で、大極殿の跡地など一帯は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」として国の史跡となっています。恭仁京は都の完成をみずし

海住山寺・五重塔

京都府木津川市加茂町、聖武天皇の開いた恭仁京(くにきょう)があった瓶原(みかのはら)を見下ろす三上山(海住山)中腹に建つ海住山寺(かいじゅうせんじ)。建保2年(1214年)、貞慶建立の五重塔は国宝です。塔高は17.7mで、初層の屋根の下に裳

 

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