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山城国分寺跡

聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、山城国(やましろのくに=当時は山背国)国分僧寺(金光明四天王護国之寺/こんこうみょうしてんのうごこくのてら)の寺院跡があるのが京都府木津川市加茂町。聖武天皇が平城京から遷都した恭仁京(大養徳恭仁大宮/やまとのくにのおおみや)の宮殿跡に建立されています。

恭仁宮の宮殿跡に山城国分寺を造営

金堂跡
金堂礎石

国分寺(金光明四天王護国之寺)創建の際に、宮殿跡が国分寺に造り替えられるという特異の例で、恭仁京が遷都の詔から3年ほどで造営が中断されたことが背景にはあったと推測できます(『続日本紀』天平18年9月戊寅の條に「恭仁宮大極殿施入国分寺」と記されています)。

恭仁宮大極殿が中心となる堂の金堂に転用され、七重塔などが新規に創建されています。

741(天平13)年に国分寺建立の詔が出されていますが、山城国分寺の創建は恭仁京廃都後の746(天平18)年頃。
それ以前に別の地に創建され(木津川市加茂町河原の「光明寺塚」など)、恭仁京廃都後に宮殿跡に移転したという説もありますが、定かでありません。

中世には平等院の末寺、さらに奈良・興福寺の末寺になって存続しますが、室町時代ころには廃れています。

寺域は、南北3町(330m)・東西2.5町(273m)という広大なもので、ほかの国分寺と同様に南北に金堂、講堂などが並んでいました。
金堂の南東に建っていた七重塔は、その礎石15個が現存しています。

同時期に創建された山城国分尼寺は、木津川を挟んだ南岸の木津川市加茂町法花寺野にあったと比定されていますが遺構は発見されておらず、定かでありません。

山背国(山城国)の国府は、8世紀前半まで現在の京都府木津川市山城町上狛(かみこま)の新在家付近にあったと推測されていますが、まだ明らかになっていません。

七重塔跡
くにのみや学習館展示の軒瓦
山城国分寺跡
名称 山城国分寺跡/やましろこくぶんじあと
Yamashiro Kokubunji Ruins
所在地 京都府木津川市加茂町例幣中切
関連HP 木津川市公式ホームページ
電車・バスで JR大和路線加茂駅から徒歩30分。タクシーで10分
ドライブで 京奈和自動車道木津ICから約8km
駐車場 くにのみや学習館駐車場を利用
問い合わせ 木津川市観光協会 TEL:0774-73-8191/FAX:0774-73-8136
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

恭仁京大極殿跡

2017年12月14日

 

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