京・近江屋で倒れた坂本龍馬の墓は、京都霊山護國神社が管理する霊山墓地(りょうぜんぼち/京都市東山区)にあります。明治天皇から維新を目前に倒れた勤王の志士たち1043名の霊を祀るようにとの詔で建立された京都霊山護國神社。坂本龍馬の墓の横には龍馬と一緒に、近江屋事件で命を落とした中岡慎太郎が眠っています。
霊山墓地にある坂本龍馬、中岡慎太郎の墓
坂本龍馬は慶応3年11月15日(1867年12月10日)に重傷を負い、土佐藩邸から土佐藩医師・河村盈進が駆けつけたときにはすでに絶命していました。
中岡慎太郎は、2日後の17日の夕方に息を引き取り、ともに18日に近江屋で葬儀が行なわれ、霊山墓地(正式名:旧霊山官修墳墓)に埋葬されたのです。
今では明治維新の立役者のように思われている、坂本龍馬は、当初は意外にもあまり知られていない人物で、初めて世に出たのは明治24年。
坂本龍馬を主人公にした坂崎紫瀾の伝記小説『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)が板垣退助の創立した政治結社「立志社」の機関紙『土陽新聞』(高知新聞)に掲載され、明治24年4月8日、正四位を追贈されたことがきっかけです。
さらに日露開戦の直前、皇后・昭憲皇太后の夢枕に龍馬が立ち、海軍軍人の守護を約束したことから京都霊山護國神社境内の坂本龍馬墓前に「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」が建立されました。
忠君愛国思想の隆盛を背景に、明治維新の立役者として坂本龍馬活躍の見直しが行なわれ、昭和9年には坂本龍馬・中岡慎太郎の像も建立されています(戦時中に供出されたため、現在の像は昭和37年、京都高知県人会の建立)。
戦後は、昭和37年から産経新聞夕刊に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が連載され、司馬史観的な龍馬像が描かれ、さらに注目されるようになったのです。
現在、イメージされ、流布する坂本龍馬像は、この『竜馬がゆく』によって形作られたものも多く、史実との乖離も生まれています。
ちなみに霊山墓地の坂本龍馬・中岡慎太郎像の場合、龍馬が立像で、慎太郎が座っているのは龍馬の身長が174cm前後と長身だったため、ともに立像だと背の高さが違いすぎるからなのだとか。
坂本龍馬の墓 | |
名称 | 坂本龍馬の墓/さかもとりょうまのはか |
所在地 | 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 |
関連HP | 京都霊山護國神社公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪本線四条駅から徒歩25分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 京都霊山護國神社 TEL:075-561-7124/FAX:075-531-0972 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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