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法住寺

法住寺

京都府京都市東山区、蓮華王院(三十三間堂)の東に建つ天台宗の寺が法住寺(ほうじゅうじ)。永延2年(988年)、太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が創建した古刹。永暦元年(1160年)、後白河上皇の御所である法住寺殿がここに築かれ、後白河上皇の院政が行なわれた地としても有名。

後白河上皇が院政を敷いた法住寺殿の中心

焼失した三条殿に代わる新たな院政の拠点として、後白河上皇(出家後は後白河法皇)は、御所設置にあたり、上皇の権威と平家(平清盛)の後ろ盾で、一帯の立ち退きが行なわれたと伝えられています。
法住寺殿の鎮護寺として平清盛の寄進で蓮華王院(三十三間堂)や鎮護社として新熊野神社、新日吉神社(現在は移転)が敷地内に築かれ、後白河上皇と平清盛の蜜月時代を象徴する御殿となっています。
院政の敷かれた法住寺殿へは、二条天皇、高倉天皇の行幸も度々行なわれ、後白河上皇と平清盛との蜜月時代だったため、高倉天皇の中宮・平徳子(建礼門院、平清盛の娘)が入内したのも法住寺殿から。

平家滅亡とともに木曾義仲の軍が、後白河法皇の御所である法住寺殿を焼き払い、後白河法皇没後には法華堂が建てられて後白河天皇の御陵となっています。
以降、天台三門跡の妙法院とは密接な関係を保ち、明治に天皇陵として宮内省(現・宮内庁)の管理に移されるまで、後白河天皇の陵を守る寺として機能していました。
また、近年は、漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子の菩提寺としても知られています。

隣接して宮内庁管轄の後白河天皇法住寺陵があり、土・日曜、祝日以外は拝所まで入ることができます。

法住寺では阿弥陀堂で、写経・写仏も可能(2名以上予約で、精進料理付き写経・写仏も)。
縁日は、3日、15日、28日で護摩が焚かれ、毎月28日(不動明王縁日)には護摩の後に住職の法話もあります。
とくに1月28日は『初不動』で、力こんにゃく・力餅の供養を実施、12月28日が『終い不動』となります。

1月1日〜1月7日は、『新春護摩祈祷会』、1月15日に近い日曜に『無病息災大根炊き』で大根炊きが振る舞われます。
11月15日が『身代不動尊』、採灯大護摩供を厳修。
大石内蔵助が仇討ちを祈願して身代り不動尊に参拝したことから四十七士木造も安置され、12月14日には『義士会法要』も行なわれ、討ち入りそば供養も。

法住寺
名称 法住寺/ほうじゅうじ
所在地 京都府京都市東山区三十三間堂廻り町655
関連HP 法住寺公式ホームページ
電車・バスで 京阪電気鉄道七条駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約6.4km。または、阪神高速8号京都線鴨川東出口から約1.6km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 法住寺 TEL:075-561-4137
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

新熊野神社

熊野信仰盛んな1160(永暦元)年、後白河上皇が平清盛・重盛に命じて京に創建された神社が新熊野神社(いまくまのじんじゃ)。退位後に院政を敷いた際に、住まいとしたのが現在の京都市東山区に建つ法住寺周辺(法住寺殿)。その鎮守社として新熊野神社が

蓮華王院(三十三間堂)

一般には三十三間堂の名で知られていますが、正式には蓮華王院(れんげおういん)で、天台宗の古刹。妙法院に属する堂で、妙法院の境外仏堂。1164(長寛2)年に後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿の一角に平清盛に命じて創建したもの。建物は国宝、堂

後白河天皇法住寺陵

京都府京都市東山区、蓮華王院(三十三間堂)の東、法住寺にあるのが後白河天皇法住寺陵(ごしらかわてんのうほうじゅうじのみささぎ)。平清盛による平家の黄金時代、そして源氏の台頭という激動の時代に天皇、そして譲位後は34年に渡り院政で権力を保った

 

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