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南禅寺・佐久間灯籠

南禅寺・佐久間灯籠

京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山、南禅寺。京都三大門(南禅寺、知恩院、東本願寺または仁和寺)に数えられる有名な三門の前に配されるのが佐久間灯籠です。寛永5年(1628年)の三門落慶の際に、佐久間勝之が寄進したもので、対ではなく1基だけなので「佐久間玄藩の片灯籠」とも呼ばれています。

三門完成と同時に配された巨大な石灯籠

「南禅寺の武家面 ( ぶけづら )」といわれるように南禅寺は武家の信仰が篤く、現存する三門も寛永5年(1628年)、藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した兵たちの菩提を弔うために寄進したもの。
同様に、佐久間灯籠と通称される石灯籠も佐久間勝之(大坂夏の陣で活躍)が戦没者の菩提を弔うために寄進したもので、刻まれる銘は南禅寺金地院の以心崇伝(いしんすうでん)の書と伝えられます。

以心崇伝は、三門完成の前年、禁中並公家諸法度(天皇及び公家に対する関係を確立するために定めた制定法)を起草しています(以心崇伝=徳川家康のブレーンのひとりで、江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を一手に引き受け、江戸幕府の基礎を築いています)。

佐久間勝之は、永禄11年(1568年)、織田氏の家臣・佐久間盛次の四男として生誕。
蒲生氏郷(がもううじさと)に仕え、氏郷死後は豊臣秀吉に呼び返され伏見城で秀吉の配下に。
秀吉没後は徳川家康に接近し、関ヶ原の合戦では東軍となり、慶長20年(1615年)、大坂夏の陣の武勲で信濃長沼藩1万8000石の藩祖になっています。

佐久間勝之は、南禅寺を皮切りに、熱田神宮、そして上野東照宮にも巨大な灯籠を寄進しており、その3基が日本三大灯籠とされています。

上野東照宮は、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建したものなので、外様大名でありながら家康に譜代大名格(別格譜代)として重用された藤堂高虎(8度も主君を変えた苦労人)と、佐久間勝之の密なる関係がうかがえます。

南禅寺・佐久間灯籠
名称 南禅寺・佐久間灯籠/なんぜんじ・さくまとうろう
所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町
関連HP 南禅寺公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで34分、南禅寺永観堂前下車、徒歩8分で三門。または地下鉄東西線蹴上駅からインクラインをくぐり歩行者専用道を徒歩7分で三門
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約14km
駐車場 南禅寺駐車場(50台/有料)
問い合わせ 南禅寺 TEL:075-771-0365/FAX:075-771-6989
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

南禅寺

もともとは亀山天皇(かめやまてんのう)が文永元年(1264年)に造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった地。仏門に入り法皇となった亀山法皇は正応4年(1291年)、無関普門(むかんふもん=大明国師)に禅林寺殿を下賜し、龍安山禅林禅寺

南禅寺・三門

南禅寺の三門は寛永5年(1628年)の再建で国の重要文化財。伊勢津藩主で築城の名手としても名高い藤堂高虎(とうどうたかとら)が大坂夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために建立したもの。知恩院・三門、東本願寺・御影堂門とともに、京都三大門の一つに

 

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