サイトアイコン ニッポン旅マガジン

古川町橋(白川一本橋)

古川町橋(白川一本橋)

京都市東山区を流れる白川に架かる橋が古川町橋(ふるかわまちばし)。現存するレトロな石橋は、明治40年の架橋で、比叡山の千日回峰行『京都大廻り』の際、修行後にこの橋を渡ることから行者橋、阿闍梨橋(あじゃりばし)、さらに石が一本だけで欄干もない形状から白川一本橋とも称されています。

テレビや映画のロケ地にもなっている石橋

幅はわずかに67cm、橋長12mの石橋で、自転車で橋を渡るイメージは平均台(ただし幅は平均台の6倍以上)に近いものがあります。
地元の子供達は、「一本橋を自転車で渡れるようになったら一人前」といわれているのだとか。

比叡山に伝わる『千日回峰行』(せんにちかいほうぎょう)は、白装束にわらじ姿で比叡山の峰や谷、洛中洛外260ヶ所を1日数十キロ、7年を費やして回るという修行。
975日間で歩く距離は4万kmにも及び、終盤には9日間にわたって、水も食物も睡眠もとらず「不動明王の真言を10万回唱え続ける」という、「明王堂参籠」(みょうおうどうさんろう=堂入り)が課せられます。
『千日回峰行』を達成した行者(満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」という尊称に)は、知恩院の傍らにある粟田口(あわたぐち)の尊勝院に参詣し、祀られる元三大師(がんざんだいし)に満行を報告します。
行者(「北嶺大先達大行満大阿闍梨」)が、京の町に入洛するとき最初に渡るのがこの古川町橋(白川一本橋)なのです。

白洲正子のエッセー『道」には、「行者は白川にかかる橋から比叡山を遥拝(ようはい)する」との記述がありますが、感慨深く比叡山を振り返るのがこの橋なのです。

江戸時代には『粟田祭』で、剣鉾(けんほこ)が渡る「曲渡り」(曲差し)が行なわれ、それが名物だったとも。

小さな橋ですが、橋の愛好家のバイブル『日本百名橋』(松村博氏著/鹿島出版会)には「番外」として選定されています(京都市内では三条大橋、五条大橋、上賀茂神社の橋殿、渡月橋、東福寺の偃月橋が選定)。

橋の西側から三条通までは、古川町商店街(ふるかわちょうしょうてんがい)があります。
レトロな商店街と、古川町橋(白川一本橋)は、テレビや映画のロケ地としても人気。

古川町橋(白川一本橋)
名称 古川町橋(白川一本橋)/ふるかわまちばし(しらかわいっぽんばし)
所在地 京都府京都市東山区石橋町
電車・バスで 京都市営地下鉄東西線東山駅から徒歩5分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約6km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

三条大橋

京都市街を流れる鴨川に架かる、江戸時代の東海道と中山道の終点となる三条大橋。現在の橋は昭和25年に架橋されたものですが欄干には豊臣秀吉の命により改修された時代の擬宝珠も配されています。室町時代初期には、簡素な構造の橋が架かっていましたが、本

渡月橋

京都を流れる桂川にかかる橋で嵐山のシンボル的存在。左岸と中州である中ノ島公園とを結んでいます。承和年間(834年〜848年)に僧・道昌が架橋したのが最初で、鎌倉時代に亀山上皇が月が傾いていくのを眺めて「くまなき月の渡るに似たり」という言葉か

三条通白川橋道標

京都市東山区の三条通白川橋東詰にあるのが三条通白川橋道標(さんじょうどおりしらかわばしみちしるべ)。延宝6年(1678年)、三条通の白川に架かる橋の袂に京都に不案内な旅人のために建立されたし標石(しるべいし)で、京都市に現存する最古の道標に

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了