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梶井宮門(HOTEL THE MITSUI KYOTO)

梶井宮門

京都府京都市中京区、「HOTEL THE MITSUI KYOTO」(ホテル ザ ミツイ キョウト)のエントランスに建つのが、梶井宮門(かじいみやもん)。元禄16年(1703年)に梶井宮御殿の門として、河原町今出川に創建され、昭和10年、三井総領家(北家)の門として移築されたもの。国の登録有形文化財に指定。

明治維新までこの地に三井グループの中枢が!

「HOTEL THE MITSUI KYOTO」は、三井総領家(北家)の邸宅跡に建つ三井不動産グループのラグジュアリーホテル。
三井総領家(北家)の京都暮らしの歴史は、元禄5年(1692年)、三井総領家の2代目・三井高平(みついたかひら)が紀州藩の移転許可を受けて、居宅を松坂から油小路通二条下ル町(HOTEL THE MITSUI KYOTO」敷地)に構えたことに始まります。
三井高平は、伊勢・松坂に生誕、江戸で商売を学び、江戸に三井越後屋呉服店(越後屋=三越の前身)を開店、幕府呉服御用、御為替御用となり、幕府の御用のため江戸と京を隔年で往復するようになり、松坂を管轄する紀州徳川家に京移転を願い出て、この地に本邸を構えたのです。
三井家の事業に貫かれた『宗竺遺書』(そうちくいしょ)を遺したのも三井高平。

18世紀初頭から明治初期までは三井全事業の最高統制機関「大元方」(おおもとかた)もこの地に設置され、三井家の資産をすべて大元方に集中させ、各営業店舗の「元建もとだて」(資本金)を定めて出資し、必要な運転資金についても貸付するという現代のホールディングス(持株会社)のような事業展開を図ったのです。
大元方の機能と宗竺遺書の精神によって三井の事業は安定、幕末の激動期では、勤王派支持を打ち出して、明治維新後の東京遷都とともに、京の大元方の機能の多くは東京の三井組大元方に継承されたのです。

三井総領家(北家)の邸宅跡、つまりは明治維新まで三井グループの中枢となった京の大元方跡は、「HOTEL THE MITSUI KYOTO」として整備され、梶井宮門だけでなく、見事な庭園(宮城俊作がランドスケープデザイン)、その庭園でひときわ映える景石、灯籠などが残されています。
三井不動産グループのフラッグシップホテルになっているのは、そんな「大元方」という歴史から。

「HOTEL THE MITSUI KYOTO」では、宿泊はもちろん、庭に面したレストラン「FORNI」(イタリア料理)での食事、天然温泉を使用したSPAエリアなどの外来利用も可能です。

ちなみに梶井宮は、現在の大原・三千院門跡の前身で、天台宗山門派の三門跡寺院。
明治の神仏分離、廃仏毀釈以前は、現在の京都府立医科大学 河原町キャンパスあたりに建っていましたが、時の門跡・昌仁法親王は仏門を離れて、新たに梨本宮家を起こしたため、大原にあった政所が本坊となり「三千院」となったもの。

梶井宮門(HOTEL THE MITSUI KYOTO)
名称 梶井宮門(HOTEL THE MITSUI KYOTO)/かじいみやもん(ほてる ざ みつい きょうと)
所在地 京都府京都市中京区油小路通二条下る二条油小路町284
関連HP HOTEL THE MITSUI KYOTO 公式ホームページ
電車・バスで 京都市営地下鉄二条城前駅から徒歩3分、烏丸御池駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約8km、京都東ICから約10km
駐車場 23台/有料
問い合わせ HOTEL THE MITSUI KYOTO TEL:075-468-3100
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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