京都府京都市右京区、大覚寺北側の丘陵(御廟山の山頂)にあるのが、嵯峨天皇・嵯峨山上陵(さがてんのう・さがのやまのえのみささぎ)。嵯峨天皇は、桓武天皇の第二皇子で、平安時代初期の天皇。平安京鎮護のための官寺として建立された東寺を空海に下賜したのが、嵯峨天皇です。
中世には陵墓の場所が忘れ去られたことも
大覚寺北西に嵯峨山上陵参拝道入口があり、整備された階段(石段)を上ると眼下に広沢池が眺められるようになり、標高180mほどのばしょに拝所が築かれています(陵の形式は円丘)。
京都西部の展望台としても、嵐山高雄パークウエイの小倉山展望台に次ぐ展望地といえるでしょう。
嵯峨天皇は葬られた山陵のある土地の名から 嵯峨天皇と呼ばれるもので、実は追号(ついごう)。
白河御所に住んだ白河天皇、譲位後に三条院に暮らした三条天皇も同様です。
嵯峨天皇は、承和9年7月15日(842年8月24日)に崩御し、遺詔によって国忌(天皇の忌日)・荷前(のさき=諸国からの貢ぎ物として届けられた初穂を、年末の吉日に天皇陵に献じる儀式)もなく、陵墓も朝廷が管理すべき陵の一覧である『延喜諸陵式』に記載されることがありませんでした。
そのため、いつのまにか所在が不明になり、江戸時代の元禄年間(1680〜1709年)編纂の『諸陵周垣成就記 』(しょりょうしゅうえんじょうじゅき) にも、「山城国葛野郡嵯峨山の北に葬。葬所は不相知候得共、嵯峨二尊院寺内の山に有る」と記されています(「不相知」=知られていない)。
江戸時代の享保年間(1716年〜1736年)に編纂された 『五畿内志』(ごきないし)の『山城志』に7個の自然石の巨岩があったことから現在の地ではないかと推測し、幕末の修陵の際に、陵墓として修造されています。
東側、浅原山東南麓には後宇多天皇・蓮華峯寺陵(ごうだてんのう・れんげぶじのみささぎ)があり、京都盆地と御所を見守っています(後宇多天皇=中世日本最高の賢帝と称される鎌倉時代の天皇)。
嵯峨天皇・嵯峨山上陵 | |
名称 | 嵯峨天皇・嵯峨山上陵/さがてんのう・さがのやまのえのみささぎ |
所在地 | 京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町 |
関連HP | 宮内庁公式ホームページ |
電車・バスで | JR京都駅から京都市営バス大覚寺行きで54分、大覚寺下車、徒歩30分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約15km |
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