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双ヶ岡1号墳

双ヶ岡1号墳

京都府京都市右京区御室双岡町、京都市街を一望にする卓越した展望地として、昭和16年に国の名勝に指定されるのが、雙ヶ岡(ならびがおか)。北から一の丘、二の丘、三の丘と3つの丘が順に並び、最高点(標高115.8m)の一の丘山頂にあるのが、双ヶ岡1号墳です。

雙ヶ岡の最高峰、一の丘の山頂に築かれた円墳

3つの丘には、6世紀後半〜7世紀前半に24基の古墳が造営され、双ヶ岡古墳群と称されています。
そのなかで最大の古墳が双ヶ岡1号墳。
そのほかは、一の丘と二の丘の間の谷筋に9基、二の丘の頂上に1基、二の丘の南裾から三の丘に13基、いずれも直径10m〜20mの円墳です。

24基の円墳のうち、最大の古墳となる双ヶ岡1号墳は直径44m、高さ8mの墳丘で、埋葬施設として嵯峨野側に口を開ける横穴式石室を備えています。
巨石で有名な太秦(うずまさ)の蛇塚古墳(へびづかこふん)に遜色ない巨石を組んだ石室です。
昭和55年の発掘調査では、盗掘から残る須恵器、土師器、鉄製品、石棺の破片、金環(耳飾り)などが出土しています。

平安時代初期の右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)の墳墓とされ、石碑も立っていますが、実際には古墳時代の円墳。
1号墳は出土遺物などから6世紀後半に雙ヶ岡に最初に造られたもので、その規模から太秦を本拠とした秦氏(はたし)の長の墓だと推測されています。

平安京遷都にも影響を与えた渡来氏族・秦氏とは!?

秦氏は、古代に朝鮮半島から渡来した氏族で、山城国葛野郡(かどのぐん)太秦を本拠に(葛野秦氏)、近畿一帯に強い地盤を築いています。
大陸の高度な技術力、そして豊かな経済力を背景に、桂川(現在の渡月橋あたり)に灌漑用の葛野大堰(かどのおおい)を築いて嵯峨野一帯を開墾、さらには養蚕や機織などの新しい技法を伝えています。

7世紀始めに財力を蓄えた秦河勝(はたのかわかつ)は、聖徳太子から仏像を賜り、太秦に蜂岡寺(はちおかでら=現・広隆寺)を建立しています。
延暦3年(784年)、奈良の仏教勢力の影響力を嫌った桓武天皇の長岡京遷都でも、秦氏が助力し、平安京遷都でも大きな影響力を示したと推測できます。

双ヶ岡1号墳
名称 双ヶ岡1号墳/ならびがおかいちごうふん
所在地 京都府京都市右京区御室双岡町
電車・バスで 京福北野線御室駅から徒歩10分
駐車場 なし
問い合わせ 京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 TEL:075-222-3130/FAX:075-213-3366
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

雙ヶ岡

京都府京都市右京区御室双岡町、京都市街を一望にする卓越した展望地として、昭和16年に国の名勝に指定されるのが、雙ヶ岡(ならびがおか)。北から一の丘、二の丘、三の丘と3つの丘が順に並び、最北の一の丘が最高点で標高115.8m、比高は100mほ

 

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