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勝竜寺城(細川ガラシャ輿入れの城)

勝竜寺城

京都府長岡京市勝竜寺にある中世から近世初期の城郭が、勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)。細川忠興・ガラシャ夫妻はこの城で祝言をあげ、ゆかりの城となっています。天正10年(1582年)の本能寺の変直後は、明智光秀が羽柴秀吉を迎え撃つ拠点ともなり、「明智光秀最後の城」にもなっています。

安土城より早い、近世城郭の先駆け的存在

戦国時代には三好政権(織田信長の天下布武の前に誕生した統一政権の先駆的な存在)を支えた三好三人衆(みよしさんにんしゅう)と呼ばれた三好長逸(みよしながやす)、三好宗渭(みよしそうい)、岩成友通(いわなりともみち)の居城でしたが、足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛する織田信長は、永禄11年(1568年)、勝竜寺城を攻略。
三好三人衆は阿波に追放され、三好政権は瓦解しました。

足利義昭が室町幕府の第15代征夷大将軍(室町幕府最後の将軍)に任じられると、足利義昭の擁立に尽力した細川藤孝(ほそかわふじたか=当代一流の文化人)が城主となり、山城国南部を守備する織田氏拠点に。
織田信長の命により、瓦、石垣、天守を備えた近世城郭として改修したと推測されています。

天正6年(1578年)、織田信長の薦めにより、嫡男・細川忠興と明智光秀の娘・玉(ガラシャ)の婚姻が成立(祝言は座敷9畳と次の間6畳で実施)。
天正9年(1581年)、細川藤孝の丹後入封まで、細川忠興・ガラシャ夫妻は勝竜寺城で新婚時代を過ごしています。

天正10年(1582年)、本能寺の変直後には、明智光秀が山城国山崎界隈で羽柴秀吉軍を迎え撃つための拠点として改修、勝竜寺城南西の恵解山古墳に明智光秀本陣を置いたとも推測されています。
羽柴秀吉との山崎の戦いで大敗を喫した明智光秀は、勝龍寺城に退却し、最期の夜を過ごし、夜中のうちに勝龍寺城の北門から首尾よく脱出。
坂本城(滋賀県大津市)へと逃げる途中、小栗栖の藪(京都市伏見区、現・明智藪)で農民の落ち武者狩りに遭遇、竹槍で刺されています。

この山崎の戦いでは、細川藤孝は明智光秀の援軍要請を断って剃髪、家督を子の細川忠興に譲って居城を田辺城に移し、明智光秀の娘であるガラシャを幽閉しています。

羽柴秀吉はこの城を活用することはなく、寛永10年(1633年)、永井直清が山城長岡藩へ入った際に、城の修築を行なっていますが慶安2年(1649年)、摂津高槻藩に転封となって、廃城となっています。

現在は勝竜寺城公園(「日本の歴史公園100選」にも選定)として整備され、模擬櫓、細川忠興・ガラシャの像などが建っているほか、管理棟には資料展示室が設けられています。
北門(明智光秀が脱出したと伝わる門)の一部に石垣が現存、復元された土塁・空堀を見学できます。

また、遺構から本格的な瓦や石垣の使用が確認され、安土城よりも早い時代に構築された織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)ということもわかっています。

毎年11月第2日曜、玉の輿入れ行列の再現などによる『長岡京ガラシャ祭』が勝竜寺城公園を中心に盛大に行なわれています。

復元された土塁・空堀
勝竜寺城(細川ガラシャ輿入れの城)
名称 勝竜寺城(細川ガラシャ輿入れの城)/しょうりゅうじじょう(ほそかわがらしゃこしいれのしろ)
所在地 京都府長岡京市勝竜寺13‐1
関連HP 長岡京市公式ホームページ
電車・バスで JR長岡京駅から徒歩10分、阪急長岡天神駅・西山天王山駅から徒歩20分
ドライブで 京都縦貫自動車道長岡京IC、名神高速道路大山崎ICから約2km
駐車場 勝竜寺城公園駐車場(6台/無料)
問い合わせ 長岡京市公園緑地課 TEL:075-955-9716
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

山崎の戦いで明智光秀本陣は、恵解山古墳に置かれた!?

京都府長岡京市にある国の史跡・恵解山古墳(いげのやまこふん)。実はこの古墳、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀が、「中国大返し」から戻る羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)を迎え撃った山崎の戦いで本陣を置いた場所という可能性が高まっています。墳丘長1

恵解山古墳

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