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影を慕いて歌碑(古賀政男顕彰歌碑)

影を慕いて歌碑(古賀政男顕彰歌碑)

宮城県柴田郡川崎町、青根温泉、青根自然の森公園にあるのが影を慕いて歌碑(古賀政男顕彰歌碑)。昭和恐慌最中の昭和2年~3年、明治大学マンドリン倶楽部(大正12年、古賀政男たちが創立)時代の友人・大沼幸七の誘いもあり、青根温泉を訪れ、そこで生まれたのが古賀政男の代表曲となった『影を慕いて』です。

昭和の名曲『影を慕いて』は青根温泉で誕生!

昭和恐慌の最中、中島梅子への失恋という失意の中で、青根温泉を訪れ、絶望感から自殺も考え、山中を彷徨っている時、必死に古賀政男を探す友人・大沼幸七の声に我に返り、蔵王の夕日を眺めて誕生したのが名曲『影を慕いて』。

昭和4年6月、古賀政男24歳のとき、『明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会』で、ギター合奏曲として発表。
ゲストとして来場していた『波浮の港』がヒットし、『東京行進曲』を5月に発売した時の大スター、佐藤千夜子(さとうちやこ)がレコーディングをすすめ、昭和5年、明治大学マンドリン倶楽部演奏、佐藤千夜子歌唱で最初のレコーディング(昭和6年1月発売)。
レコード自体はあまり売れませんでしたが、日本コロムビアレコードの営業マン伊藤正憲が浅草・鳥越の斉藤楽器店で試聴、昭和6年、まだ東京音楽学校(現・東京芸大)の学生だった(昭和8年に卒業)藤山一郎がレコ-ディングして大ヒット(発売は昭和7年3月)となったのです(この時、すでに藤山一郎は、『丘を越えて』、『酒は涙か溜息か』を発売していました)。

青根温泉から1kmほど登った雑木林に影を慕いて歌碑(古賀政男顕彰歌碑)が立っていますが、ここが放心状態で森の中を彷徨し、大沼幸七の声で、自殺を思いとどまった場所なのだとか。

現在も『明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会』では必ず演奏されています。

古賀政男の楽曲では、『丘を越えて』歌碑が群馬県の浅間牧場にあります(作詞の島田芳文のイメージが浅間牧場、曲は古賀政男の川崎市の稲田公園でのピクニックがモチーフです)。

影を慕いて歌碑(古賀政男顕彰歌碑)
名称 影を慕いて歌碑(古賀政男顕彰歌碑)/かげをしたいてかひ(こがまさおけんしょうかひ)
所在地 宮城県柴田郡川崎町前川峩々1
ドライブで 山形自動車道宮城川崎ICから約12km
問い合わせ 川崎町地域振興課 TEL:0224‐84‐2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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丘を越えて歌碑

群馬県長野原町の浅間牧場の丘に立つのが『丘を越えて』の歌碑。昭和6年12月、日本コロムビアから発売された『丘を越えて』は、藤山一郎の歌で大ヒット。映画『姉』(新興キネマ)の主題歌にもなった歌で、作曲は古賀政男、作詞が島田芳文(しまだよしふみ

青根温泉じゃっぽの湯

宮城県柴田郡川崎町、蔵王山麓の青根温泉は、享禄元年(1528年)、当時の川崎領主、佐藤掃部(さとうかもん)が開湯したと伝えられる古湯。青根温泉のシンボルともなる共同湯の大湯が廃止となり、平成18年4月に建てられた共同浴場が「じゃっぽの湯」で

 

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