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新潟の山中に神殿跡が!? 持倉鉱山跡を探検

持倉鉱山跡

新潟県東蒲原郡阿賀町、五十島(いがしま)地区、五十母川(いそぼがわ)沿いの山中に眠るのが、持倉鉱山跡(もちくらこうざんあと)。江戸時代後期(会津藩の藩政時代)から銅の採掘と製錬が始まった鉱山で、明治時代には蛍石と銅を採掘しましたが大正9年に閉山。その事務所跡が神殿のようだと話題になっています。

鉱山事務所の跡が「神殿」と称される廃墟に

明治39年、五泉の実業家・ 小出淳太が権利を譲り受け、本格的な鉱山の開発が始まり、五十母川を挟んだ両岸に鉱山事務所と製錬所が建設されます。
この鉱山事務所の跡が「神殿」と称される廃墟です。

上流の選鉱場と1800mの索道で結び、銅を精錬。
大正2年の記録では、鉱石の出鉱量1万6791t、生産した銅の量は305tを数え、352人の従業員を抱えていました。
大正2年6月1日に開業したJR磐越西線(開業当時は鉄道院信越線支線)の五十島駅(いがしまえき)は、銅の輸送にも活躍したのです。
銅は、大正6年の生産量686t がピークで、大正8年に銅相場の下落で苦境となり、三井鉱山に譲渡され、新たな鉱脈を探しますが、見つかることがなく閉山となりました。

閉山後は蛍石の採掘が行なわれていた近隣の五十島鉱山の貯鉱場に利用されていましたが、その五十島鉱山も昭和38年に閉山になっており、今では「ラピュタ状態」に。

新潟県道17号(新潟村松三川線)から五十母川沿いの持倉林道(ダート)に入り、砂防ダムを横目に見ながら上流へと走ると、林道終点に。
そこから熊の出没、ヒルの襲撃を恐れながら15分ほど険しい踏み跡状の山道を歩くと、忽然と「神殿」と通称される建物。
カラミレンガと呼ばれる鉱山で精錬する際に出る鉱滓(こうさい)を再利用してつくったレンガを積んだ建物は、事務所の跡。
レンガ造りでアーチ式というのが、神殿を思わせているのです。

2022年8月23日 持倉鉱山が「持倉鉱山からみ煉瓦(れんが)遺構」として、産業遺産学会の「推薦産業遺産」に認定。
現在鉱山跡は組合管理区域になっており、立入許可が必要な場合があります。
立ち入りの場合は事前に阿賀町、阿賀町観光協会に問い合わせを。

新潟の山中に神殿跡が!? 持倉鉱山跡を探検
名称 持倉鉱山跡/もちくらこうざんあと
所在地 新潟県東蒲原郡阿賀町五十島
関連HP 阿賀町観光協会公式ホームページ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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