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「鳥取・大山町 妻木晩田(むきばんだ)遺跡で昔の人の暮らしを見る」

この記事は「じぶん日記」から寄稿していただきました。
元記事はコチラ ▶ 「鳥取・大山町 妻木晩田(むきばんだ)遺跡で昔の人の暮らしを見る」 : じぶん日記

今日からは久しぶりに行った鳥取レポートです。
鳥取には素晴らしい温泉が沢山あり、中国地方では最も高く百名山のひとつでもある「大山(だいせん)」がある場所です。
今回は大山寺や大神山神社までトレッキングもありますよーてことで、参加とっても楽しみでした。

朝1便の飛行機に乗ると米子空港に8:20には着いちゃう。
まだ会社も始まっていない時間から動けるので初日をフルで使えます。
良い天気にも恵まれて最初に向かったのは妻木晩田(むきばんだ)遺跡。

むきばんだ、むきばんだ・・・・言いにくいから、むきパンダで覚えましょう。

この妻木晩田、ものすっごく大きな集落があった場所で、まだ全容の解明ができていない、というくらいに広大な場所を指すのです。
日本では最も大きいともいわれるこの集落跡地での見どころは、昔の人の家。そして王様の墓。
柱の後などから家々を再現してあり、中にも入れちゃいます。
高床式。

竪穴式住居は見えているところが私たちの考えている「屋根」にあたる部分で、住まいは地下という構造です。

骨組みだけで見るととてーもわかりやすい!

中へ入ると中心には謎の穴。
何に使われていたのかはまだ解明されていないのだそう。そうなのか・・・

12畳くらいの広さがあるのが普通の人の家。偉くなるともっと広い家になるようです。
やはり家の大きさは位を表すのか。

昔の人の暮らしからは、この地域でどんなものが獲れたのか、
どんな文化があったのかなど、現代にもつながる地域性が浮かび上がってくるので面白い。
結構栄養あるものを食べていたようだし、ジビエ生活も悪くないな。
史跡公園内の資料館ではお子様向け展示もあり、弥生時代のムラでは
どんな生活をしていたのか、わかりやすく説明されています。

大集落がここにあったとすると、やっぱり美味しいものがたくさんあったのかなぁ・・・とか、
すごい首長がいたのかなぁ・・・とかいろいろな想像に至ります。
竪穴式住居の跡は400棟以上、掘立て柱系は500棟。
同時期には45棟が並んでいたとすると、この場所に何十年も代替わりしながら人が住んでいた
ってことだよね。
まじめなこと考えてるけど、みんなの格好はコスプレ。楽しいww

「発掘するとこんな風に出てくるよ」って場所も見ることができます。
大きく3つの輪があって、柱の跡がずれて沢山あるのですが、これって同じ場所に重ねて何度も家が建っていたってことなんですって。
妻木晩田は長年に渡って代々人が住んでいたから、こんな風に何度も建て替えられた跡が出てくるのだそう。

そして一番高台へ行くと米子から境港へと続く弓ヶ浜が一望できる場所へ。
ここに首長の墓があります。

古墳じゃないよ、墳丘墓(ふんきゅうぼ)。
盛り上げた側面に石を張り巡らせて、上を平らにした四隅突出型墳丘墓。

 
 

島根⇒広島の旅でも実は立ち寄っていた、西谷遺跡ではこーんなおっきな四隅突出型墳丘墓があります。
こっちのがわかりやすいかもです、側面に石を貼って、こたつのような形です。

妻木晩田にはこたつどころか、ざぶとんくらいの可愛い四隅がありました。
子供の墓ではないかとのこと。
萌えました。

昔の人たち、集落作って力を合わせて生きていたんだろうねぇ~

 

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