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横川覚範首塚

横川覚範首塚

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の上千本から奥千本へと向かう途中、花矢倉展望台の取り付きにある首塚が、横川覚範首塚(よかわのかくはんくびづか)。吉野一の荒法師と呼ばれた僧兵・横川覚範は、源義経を追いますが、、佐藤忠信が花矢倉で防戦し、高台から矢を射かけ、横川覚範を討ち取ったと伝えられています。

荒僧・横川覚範が佐藤忠信に討ち取られたとされる地

「蘇りの地」ともいわれる吉野山には源義経と静御前の逃避行も伝承され、その代表的なのが『義経千本桜』蔵王堂の段。
鎌倉幕府から、もし義経を匿えば、吉野山も滅ぼすと脅された金峯山寺では、対応を決める評議が開かれ、比叡山横川から来ている客分の僧・横川覚範は、義経追討を主張。

文治元年(1185年)12月に吉水院(現在の吉水神社)を抜け出し、静御前とも別れた義経主従。
追っ手である横川覚範は、義経一行を追いつめますが、獅子尾坂から花矢倉への道は、守るに容易で攻めるに難い急峻な地形。

義経の忠臣で義経四天王に数えられる佐藤忠信(さとうただのぶ=奥州藤原氏に仕えた佐藤基治の子)が山上(花矢倉)から放った矢で追っ手の横川覚範はあえなく討死。
その首を埋めたところが首塚と伝えられています。
横川覚範は、金峯山の名だたる荒僧。
比叡山の横川で修行したため、横川覚範と名乗ったと伝えられています。
文楽・歌舞伎『義経千本桜』で有名な説話ですが、どこまでが史実なのか、はたまた後世の創作なのかは定かでありませんが、霊地・吉野山だからこその歌舞伎の演目です。

横川覚範首塚
名称 横川覚範首塚/よこかわかくはんくびづか
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山1711
電車・バスで 近鉄吉野山駅から徒歩1時間30分。または、ロープウェイ山上駅から路線バス(観桜期は交通規制のため運行なし)で奥千本口下車、徒歩20分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約33km
駐車場 下千本駐車場(400台/有料)、観桜期〜GWには周辺に交通規制が実施されるため臨時開設される郊外駐車場(シャトルバス料込で有料)を利用
問い合わせ 吉野町観光案内所 TEL:0746-39-9237/FAX:0746-39-9178
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

吉野山・上千本

吉野山の桜は、山麓から山上に向かって下千本(しもせんぼん)、中千本、上千本(かみせんぼん)、奥千本と続きますが、山上で眺めが良いのが上千本。雲井の桜、上千本、布引の桜、天人桜、夢見桜そして絶景の花矢倉展望台などがあります。標高は390m~6

花矢倉展望台

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の上千本から獅子尾坂を上り詰めた先、世尊寺跡にある展望台が、花矢倉展望台。眼下に上千本、中千本、蔵王堂を見下ろせ、遠く金剛・葛城・二上山を遠望する絶景の地。義経の忠臣、佐藤忠信は、追っ手を防ぐために矢の雨を降らせた

世尊寺跡(吉野三郎鐘)・人丸塚

奈良県吉野郡吉野町、上千本から奥千本への途中、花矢倉展望台の脇にあるのが、世尊寺跡。世尊寺は、金峯山寺(きんぷせんじ)の塔頭(たっちゅう)で明治8年、廃仏毀釈の嵐により廃寺となった寺。寺跡に吉野三郎鐘と称される名鐘(国の重要文化財)と、丘の

 

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