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腰折田公園(相撲発祥伝承の地)

相撲発祥の地・腰折田公園

奈良県香芝市(かしばし)磯壁6丁目、腰折田公園として整備されるのが相撲発祥伝承の地。『日本書記』垂仁天皇7年7月7日の条に記される当麻蹴速(たいまのけはや)と出雲の国の野見宿禰(のみのすくね)が天皇の前で相撲とった場所と伝承され、相撲発祥の地と伝えられています。

香芝市、桜井市、葛城市が相撲発祥の地を名乗る

垂仁天皇7年7月7日の条に、当麻蹴速(たいまのけはや)が素手で角を折り、鉤(かぎ)を伸ばすほどの怪力の持ち主で、力比べを望んでいたため、それを聞いた垂仁天皇が、野見宿祢を招いて、決戦をしたらどうかと提案をしたと記されています。

試合は、結局、お互いに足の蹴り合いになり(当時の相撲には蹴り技は認められていました)、野見宿禰が当麻蹴速のあばらを蹴り折り、腰骨を踏み砕いて殺害、勝利を収めています。
残酷な結果ですが、野見宿祢は腰折田を領地にもらったため、香芝市では相撲発祥の地としているのです(香芝市出雲地区には、野見宿禰の墓と伝わる塚も残されています)。

ただし、桜井市の垂仁天皇の纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)跡伝承地に近い相撲神社も発祥の地の候補地。
當麻蹶速塚や全国的も珍しい体験型の相撲ミュージアム「相撲館けはや座」がある葛城市も相撲発祥の地だと宣言していて、発祥の地が3ヶ所あることになっています(3市で大和まほろば相撲連絡協議会を結成)。

垂仁天皇7年は、西暦に直せば紀元前23年で、歴史的には弥生時代にあたるので、その信憑性には疑問符も付きますが、後世の創作としても、大和の国で古墳時代から飛鳥時代頃に、なんらかの相撲的な対決があったのかもしれません(垂仁天皇は考古学上、実在したとすれば3世紀後半〜4世紀前半頃、つまりは古墳時代、ヤマト王権の大王)。

『日本書紀』の記載の正確さはわかりませんが、歴史的には天平6年(734年)、聖武天皇の前で相撲が行なわれた記録もあり、奈良時代からは諸国から力士が召し出されて相撲をとる『相撲節』(すまひのせち=相撲節会・すまのせちえ)と呼ばれる宮中行事が行なわれ、これが現在の大相撲につながっていくことが判明しています。

相撲に関しては野見宿禰の出自という出雲国が盛んで、とくに国境の島・隠岐が盛んなため、隠岐の郷土史家など、相撲は大陸伝来と考える人も少なくありません。

腰折田公園(相撲発祥伝承の地)
名称 腰折田公園(相撲発祥伝承の地)/こしおれだこうえん(すもうはっしょうでんしょうのち)
所在地 奈良県香芝市磯壁6-316-1
関連HP 香芝市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄二上神社口駅から徒歩15分。JR五位堂駅から徒歩20分
駐車場 なし
問い合わせ 香芝市商工観光課 TEL:0745-76-2001/FAX:0745-78-3830
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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