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番神堂

番神堂

新潟県柏崎市の海岸線の高台に建つ日蓮ゆかりの堂が番神堂。神仏習合時代の三十番神(さんじゅうばんしん)を勧請した堂で、最澄(伝教大師)も比叡山に祀り、代表格である30の神仏が、旧暦の1ヶ月30日を毎日交替で国家や国民などを守護するとされたもの。

眺めのいい番神岬の断崖に建つ日蓮ゆかりのお堂

建長元年(1249年)、日蓮28歳の時、比叡山横川の定光院で、法華経を読誦していた時に現れたのが熱田大明神、諏訪大明神、八幡大菩薩などの「法華経守護の三十番神」だと伝えられています。

その後、日蓮は、文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府5代執権、北条時頼に『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)を建白しますが、他宗を排除する内容から受け入れられず、伊豆・佐渡へと流されています。

蒙古襲来で日蓮の予言が的中したことを悟った幕府は、文永11年(1274年)、日蓮を赦免。
日蓮は3月13日に佐渡・真浦の津(日蓮洞窟が現存)を出航し寺泊に向かいますが、途中、嵐に遭い番神岬に漂着しています。
日蓮は3月26日に鎌倉に戻っていますが、その間に、当時真言宗だった大乗寺住持・慈福を折伏(しゃくぶく)して日蓮宗に改宗させ、妙行寺(みょぎょうじ)を創建(妙行寺は慶長2年の地震で海岸山大乗寺を合併して番神から西本町へ移転)。

さらに日蓮は法華経を守る守護の三十番神を、漂着の地に自らの手で勧請。
菩薩を中心に29の神を祀り、三十番神堂を建立しています。
これが現在の番神堂のルーツで、番神という一帯の地名の由来にもなっているのです。

今も番神堂は当時と変わらず妙行寺が主管し、日蓮が流れ着いた番神岬とともに日蓮宗の宗門史跡となっています。
現存する番神堂は、明治4年の大火で類焼後、明治11年の再建。
番神堂の壁面に施された桃山調の彫刻が見事です。
彫刻は出雲崎の原篤三郎、脇野町の池山甚太郎、直江津の彫富(ちょうとみ)の作。

なお、幕末、慶応4年(1860年)の戊辰戦争(ぼしんせんそう)の長岡戦争(鯨波戦争)では、妙行寺本堂が官軍の本陣となり、本堂内には現在でも官軍兵士の落書きが残されています。

番神堂
名称 番神堂/ばんじんどう
所在地 新潟県柏崎市番神2-10-42
関連HP 柏崎市公式ホームページ
電車・バスで JR柏崎駅から越後交通バス鯨波行きで10分、番神入口下車、徒歩3分。または、JR信越本線鯨波駅から徒歩25分
ドライブで 北陸自動車道米山ICから約6km。柏崎ICから約7km
駐車場 番神岬夕日の森駐車場(24台/無料)
問い合わせ 柏崎市文化振興課 TEL:0257-23-5111/FAX:0257-24-7714
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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