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本間家能舞台

本間家能舞台

33棟の能舞台が残る佐渡(新潟県佐渡市)。その数は日本全国に現存する能舞台の3分の1といわれています。江戸時代から盛んになった佐渡の神事能。佐渡能の中心的地位を保ってきた本間家は佐渡宝生流の本拠として当代で18代目を数えます。加茂湖のほとりの吾潟にある本間家能舞台は、明治18年再建で新潟県の文化財に指定されています。

近代、佐渡の能舞台の範ともなった本間家私有の能舞台

入口に立つ昭和39年の天覧を記念した「天覧能演能跡」の碑

本間家は寛永18年(1641年)、奈良で能楽を学び、享保5年(1711年)、佐渡奉行所から能太夫を委嘱され、以来、佐渡における宝生流能楽の中心となっています。
鎌倉時代から戦国時代まで佐渡国を支配したのも本間家で、その嫡流(ちゃくりゅう)。
日本最大の地主と称された豪商、酒田の本間家(「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」)はその分家で、上杉氏転封の折に山形へ移ったもの。

現存する本間家能舞台は、瓦葺き寄棟造りで、本舞台(間口5.6m、奥行5.7m)、後座(あとざ)、地謡(じうたい)座、橋掛り、裏通路からなっています。
天井には「道成寺」で使う鐘を吊るす鐘穴が施され、床下に音響効果用にふたつの甕が向かい合って、斜めに埋設されています。
明治維新後、幕府の庇護を失ったため、鏡板などの材質が江戸時代に比べて極度に落ちていることから、当時の能楽界の苦境が伝わってきます。

佐渡に現存する33ヶ所の能舞台の中では最も本格的な造りで、唯一の個人所有です。
毎年7月の最終日曜には定例能が行なわれていますが、佐渡の能イベントとしては最大規模を誇っています。

佐渡は永享6年(1434年)に世阿弥(ぜあみ)が配流されたことで能が伝わっていますが、実際に能が広まったのは江戸時代初め、初代・佐渡奉行で能をこよなく愛した大久保長安(おおくぼながやす=武田信玄に仕えた猿楽師の息子)の時代です。
以来、佐渡の能は神社に奉納する「神事能」として独自の進化を遂げています。

佐渡の能舞台は、新潟県の有形民俗文化財指定(以下は文化財指定の名称)が、佐渡本間家能舞台、佐渡諏訪神社能舞台(原黒=椎崎諏訪神社能舞台)、佐渡諏訪神社能舞台(潟端)、佐渡羽黒神社能舞台、佐渡牛尾神社能舞台、佐渡熊野神社能舞台、佐渡大膳神社能舞台、佐渡草苅神社能舞台の8ヶ所。
佐渡市指定の有形文化財が、春日神社能舞台、二宮神社能舞台、白山神社能舞台、八幡若宮神社能舞台の4ヶ所です。
5月から10月までの期間、8月を除いて毎月1回上演される『天領佐渡両津薪能』が行なわれるのは佐渡諏訪神社能舞台(原黒=椎崎諏訪神社能舞台)です。

本間家能舞台
名称 本間家能舞台/ほんまけのうぶたい
所在地 新潟県佐渡市吾潟987
関連HP 佐渡市公式観光情報サイト
電車・バスで 両津港から新潟交通佐渡バス南線で10分、吾潟観音堂前下車、すぐ
ドライブで 両津港(佐渡汽船旅客ターミナル)から約4km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 佐渡能楽倶楽部・本間家能の会事務局 TEL:0259-23-2888
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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