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佐渡歴史伝説館

佐渡歴史伝説館

「佐渡ヶ島の800年前の世界をリアルに体感」というミュージアムが佐渡市真野地区にある佐渡歴史伝説館。佐渡の風土に溶け込み、豊かな文化を佐渡に伝えた先人がなぜ佐渡に流されたか、奈良時代に始まる佐渡配流の歴史、配流された順徳上皇、日蓮、世阿弥をビジュアルに解説してします。

佐渡国府のあった中世までの佐渡の中心真野に建つミュージアム

佐渡歴史伝説館の建つ真野地区は、佐渡の国府があった場所で、佐渡配流の順徳上皇の火葬塚「真野御陵」があるほか、周辺に古寺が多く、大和路の雰囲気が漂っています。

館内では、順徳上皇、日蓮、世阿弥と佐渡に流された歴史上の人物をコンピューター制御の人形で紹介。
第一景「順徳天皇第一皇女」、第二景「第八十四代 順徳天皇 配所の月」、第三景「第八十四代 順徳天皇 絵巻物語」、第四景「日蓮聖人 佐渡法難」、第五景「日蓮聖人 波題目」、第六景「日蓮聖人 塚原問答」、第七景「世阿弥(観世元清) 雨乞いの舞」、第八景「世阿弥観音像【北村西望作】」、第九景「語り部のおじいちゃん・おばあちゃん」、第十景「安寿厨子王伝説」(あんじゅとずしおうでんせつ)、第十一景「夕鶴伝説」、第十二景「おけさ伝説」の12景で、佐渡の歴史や文化、伝承を解説しています。

第十景「安寿厨子王伝説」は、佐渡に伝わる『山椒大夫』(中世に成立した説経節『さんせう太夫』)の異説。
浄瑠璃や森鴎外の小説『山椒大夫』で知られる安寿と厨子王の伝説では、讒言(ざんげん)で筑紫国(現・福岡県)に流された岩城判官・正氏の妻とふたりの子供(姉・安寿姫、弟・厨子王)は越後・直江津で、人買いの山岡太夫の手にかかり、妻は佐渡へ、姉弟は丹後由良湊の長者である山椒太夫に売り渡されています。
盲目となった母を安寿と厨子王が見つけ出したのは佐渡だったというのが佐渡の伝承で、母と再会しながらも安寿が息絶えた場所というのが外海府の鹿野浦の安寿塚です。

第十一景「夕鶴伝説」は、佐渡に伝わる民話「鶴女房」で、鶴の恩返しに類似した伝承です。

併設の「割烹夕鶴」では、桃山風の庭園を眺めながら海の幸をふんだんに盛り込んだ料理が味わえるほか、売店ではオリジナルグッズを販売(「割烹夕鶴」と売店の入場は無料)。

佐渡に配流された順徳上皇、日蓮、世阿弥を学ぶ

鎌倉幕府倒幕の挙兵(承久の乱)した後鳥羽上皇は、順徳上皇の父。
順徳上皇は父にまさる倒幕派で、承久の乱に敗れて、承久3年(1221年)7月21日、佐渡に配流されています。
そして在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御。

鎌倉時代の革命的な宗教家、日蓮は1271年(文永8年)10月、佐渡に流罪に。
流罪中の3年間に『開目抄』、『観心本尊抄』などを著述し、佐渡配流によって教学も大きく変化しています。
文永11年(1274年)春に赦免となり、身延山久遠寺を開山しています。

室町時代初期の猿楽市・世阿弥は足利義教が観世三郎元重(音阿弥)を重用し、ついに永享6年(1434年)に佐渡国へ配流となり、嘉吉3年(1443年)頃に没しています(都に戻ったともいわれますが、足跡は定かでありません)。
6月に行なわれる「正法寺ろうそく能」で知られる正法寺は世阿弥の配所といわれ、奈良の長谷寺ゆかりの長谷寺(ちょうこくじ)はゆかりの寺として知られています。

佐渡歴史伝説館
名称 佐渡歴史伝説館/さどれきしでんせつかん
所在地 新潟県佐渡市真野655
関連HP 佐渡歴史伝説館公式ホームページ
電車・バスで 両津港から新潟交通佐渡バス南線で36分、真野新町下車、赤泊線に乗り換え5分、真野宮前下車、すぐ
ドライブで 両津港(佐渡汽船旅客ターミナル)から約20km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 佐渡歴史伝説館 TEL:0259-55-2525/FAX:0259-55-2139
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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