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清水寺

清水寺

大同3年(808年)、京から布教に訪れた僧・賢法が建立したと伝えられる佐渡市新穂(にいぼ)地区にある真言宗豊山派の古刹、清水寺(せいすいじ)。京の清水寺を模したことが名の由来。観音堂の「救世殿」(ぐぜでん)の姿はまさに清水の舞台そのままで、遠い都まで足を運ばなくても清水に参詣できるという布教拡大の考えで造られたものです。

京の清水寺を模して平安時代初期創建と伝わる古刹

参道入口の仁王門
仁王門から観音堂、本堂へと続く石段の道

寺伝(明治36年の由緒書)によれば、桓武天皇は、京・清水寺の本尊・千手観世音菩薩を深く信仰し、遠い佐渡国の人にもこの恩恵をと、賢応法師に佐渡に派遣する勅命を出し、佐渡にも清水寺を創建したのだとか。
京の清水寺は、桓武天皇から征夷大将軍に任ぜられ、東北の蝦夷(えみし)征討に活躍した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が延暦17年(798年)に創建。
蝦夷討伐の必勝祈願として、勝軍地蔵菩薩と勝敵毘沙門天を安置したもの。

この寺伝が正しければ、佐渡国に律令国家たる基盤を築き、信仰の中心として清水寺を建立したと推測できます(平安京遷都時の日本海側の勢力範囲は越の国=新潟県あたりが北限です)。
近年、平安時代作の二十八部衆像(本尊・千手観世音菩薩の眷属)の26躰が発見され、平安時代の仏像がこれほど多くほぼ揃っている例は全国的に見ても稀有(けう)で、平安時代創建を裏付けています。

山門をくぐれば観音堂(救世殿)前の広場に
懸造(かけづくり)の観音堂(救世殿)

北前船で繁栄した佐渡らしく、蔵には見事な鏝絵も

石段が続く参道を振り返る
本堂横の蔵にはこんな鏝絵(こてえ)も

懸造(かけづくり)の救世殿のほか、仁王門、山門、観音堂、本堂、庫裡(くり)が建ち、見事な鏝絵(こてえ)も残されています。
仁王門から救世殿、本堂へと続く石段両脇には樹齢400年ほどの杉の古木が生い茂っています。
本尊・千手観世音菩薩は行基の作と伝えられています。
また、佐渡七福神の寿老人が祀られています。

佐渡七福神は、禅長寺(京極毘沙門天)、大蓮寺(天澤布袋尊)、称光寺(渡海弁財天)、智光坊(倉崎恵比須天)、世尊寺(渋手大黒天)、慶宮寺(神護福禄寿)、清水寺(善哉寿老人)。

また、門前には樹齢約1000年と推定される「新穂大野の大イチョウ」があるので、時間が許せばあわせて見学を。

清水寺
名称 清水寺/せいすいじ
所在地 新潟県佐渡市新穂大野124-1
関連HP 清水寺公式ホームページ
電車・バスで 両津港からタクシーで20分、または両津港から新潟交通佐渡バス南線で23分、根本寺前下車、徒歩40分
ドライブで 両津港(佐渡汽船旅客ターミナル)から約12km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 清水寺 TEL:0259-22-2167
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材協力/新潟県観光協会、佐渡観光協会

 

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