新潟県長岡市東神田にある浄土宗の寺が光輝山月照院栄涼寺。元和5年(1619年)、長岡藩に移封された牧野忠成により開かれたと伝えられますが、もとは牧野氏が三河国牛久保城主時代(牛久保城=現・愛知県豊川市牛久保)に創建されたもの。境内には司馬遼太郎の『峠』、そして映画『峠 最後のサムライ』主人公・河井継之助の墓もあります。
長岡藩主・牧野家の菩提寺で河井継之助の墓も!
栄涼寺は、牧野氏移封にともなって寺も移転し、一時上野大胡藩(こうずけおおごはん=現・群馬県前橋市河原浜町)を経て、元和4年(1618年)3月の長岡藩立藩に伴って現在地に移されています。
以来、代々牧野家の菩提寺として栄えましたが、明治元年・慶応4年(1868年)5月、北越戊辰戦争の際、信濃川を渡河して防御の手薄な長岡城下へと侵入した西軍(新政府軍)側に占領されて野戦病院として使われています。
同年7月に計画された河井継之助率いる長岡軍側の「長岡城奪還作戦」の際には、長岡藩士によって放火され、すべての伽藍が焼失しています(この時の激戦で河井継之助も脚に弾丸を受け負傷し、その後破傷風に)。
現在の伽藍は、明治25年以降に再建されたもの。
土蔵造りの本堂は明治38年の再建。
本堂には12代藩主牧野忠訓、13代藩主牧野忠毅など歴代藩主を祀る御霊屋をはじめ、行基作と伝わる阿弥陀如来立像などを安置。
境内には牧野家歴代の墓をはじめ、北越戊辰戦争の招魂碑、戊辰戦争時の軍事総督・河井継之助の墓、戦後藩の復興に尽くした三島億二郎の墓、文政11年11月12日(1828年12月18日)の文政大地震供養塔などがあります。
ちなみに河井継之助は奥羽列藩同盟の盟友・会津への敗走中に塩沢村(現・福島県只見町塩沢)で破傷風が原因で没しており、里人が築いた墓が只見町にも現存しています。
栄涼寺 | |
名称 | 栄涼寺/えいりょうじ |
所在地 | 新潟県長岡市東神田3-5-6 |
関連HP | 長岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR長岡駅から徒歩16分 |
ドライブで | 関越自動車道長岡ICから約7.5km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 栄涼寺 TEL:0258-32-2747 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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