明治8年、21歳の若さで来日、その年にフォッサマグナ(大地溝帯)を発見したドイツ人のお雇い学者・ナウマン。ナウマンがその名を知られるのは、ナウマンゾウの研究、報告から。ナウマンゾウは、大正10年、浜名湖北岸で牙・臼歯・下あご骨の化石が発見されたのが最初の発掘です。
浜名湖では1万4000万年前に浜北人と共存していた可能性も
1万5000年ほど前までの日本列島に生息していたナウマンゾウ。
ナウマンゾウというと野尻湖、そして北海道に詳しい人なら、十勝の忠類を思い浮かべるでしょう。
昭和37年〜昭和40年に大量のナウマンゾウの化石が出土したのが野尻湖の湖畔。
昭和44年には北海道忠類村(現・幕別町)でも発見され、ナウマンゾウが津軽海峡(ブラキストン線)を越えて生息していたこともわかっています。
昭和51年には都営地下鉄新宿線・浜町駅付近の工事中に、3体のナウマンゾウの化石が発掘され、田端駅、日本銀行本店など都内各所からも出土し、日本列島全体に生息していたことが明らかになっています。
そんなナウマンゾウですが、ナウマンが研究したのは横須賀製鉄所で最初に見つかったという化石です。
大政奉還が行なわれた慶応3年(1867年)、徳川幕府が横須賀製鉄所(現・アメリカ海軍横須賀基地)の建設のため、白仙山を削平したところ、ゾウの下あご化石が出土。
大学南校(現・東京大学)に送られ、明治になってその標本をナウマンが研究したのです。
この時、ナウマンは、標本の化石をインドの化石ゾウであるナルバダゾウ(Palaeoloxodon namadicus)と推測しています。
地質学が誕生した近代になっての初の出土は、浜名湖の北岸です。
大正10年6月10日、現在の静両県浜松市佐浜町佐浜の土取り作業の現場(農地を拡大するため山下高三郎氏宅裏の崖を削平)でほぼ1体分のゾウの化石が出土しました。
更新世中期の佐浜層からの出土なので、化石ゾウに間違いありません(地元では「マンモース遺骨発掘」と記録)。
標本は京都大学に寄贈され、京都大学の古生物学者・地質学者である槙山次郎(まきやまじろう)が解析。
浜名湖や横須賀のゾウ化石がナルバダゾウと区別できることから、大正13年にナウマンゾウ(Elephasnamadicusnaumanni/現在は種に格上げされPalaeoloxodonnaumanni)と命名しました。
浜名湖から出土したのでハマナゾウと命名されれば、浜名湖は後世、ハマナゾウの出土地として有名になったことでしょうが、ナウマンは日本の地質学の発展に多大な貢献をし、日本の化石ゾウ類についての論文をドイツの学会誌に発表していることから、ナウマンゾウと命名されたのです。
浜名湖周辺からも20ヶ所ほどナウマンゾウの化石が発掘されているので、1万4000年前には旧石器時代の「浜北人」と共存していた可能性もあり、ハマキタゾウ、もしくはハマナゾウなどと名付けられてもよかったのかもしれません。
ともあれ令和6年はナウマンゾウ命名100周年という記念すべき年でした。
最初に「ナウマンゾウ」の化石が発掘されたのは、意外にも浜名湖だった! | |
所在地 | 静両県浜松市中央区佐浜町佐浜 |
場所 | ナウマンゾウ発掘の地 |
ドライブで | 東名高速道路浜松西ICから約5km |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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