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山王神社

山王神社

昭和20年8月9日、長崎県長崎市に投下された原爆の熱線と強烈な爆風のため、山王神社の社殿は倒壊。参道に現存する鳥居は、その原爆投下時の遺物として、世界的にも有名になった「一本柱鳥居」。これは爆心地の南東約900mに位置したため、爆風により鳥居の片方の柱が吹き飛ばされ、一本柱で立っているもの。

原爆の惨禍を伝える参道の「一本柱鳥居」

原爆投下直後に撮影された山王神社周辺の写真を見ると、焼け焦げたクスノキの他には、何も見当たらないほどの惨状で、一帯は瓦礫の山になっています。
残された「一本柱鳥居」は、参道の二の鳥居の右半分で、貴重な被爆遺構のひとつです。
一の鳥居は奇跡的に健在でしたが、昭和37年に交通事故で倒壊してしまいました。

境内に残された樹齢500年を越えるといわれる2本の大クスの別名は、「被爆クスノキ」。
原爆の爆風により大きな亀裂が生じ、一時は枯木のようになりましたが、数年で再び発芽し次第に樹勢を回復、復興のシンボルともなった大木です。

原爆被災の貴重な遺構として、長崎市指定天然記念物に指定、風を受けると聞こえる葉音は、環境省の残したい「日本の音風景百選」にも選定されています。

山王神社は、江戸時代初期の寛永15年(1638年)、島原の乱の鎮圧のため幕府軍の総大将(板倉重昌が討ち死にして総大将に就任)として長崎に赴いた松平信綱(まつだいらのぶつな)が、この土地が比叡山麓の坂本に似ていることから、長崎代官・末次政直(末次平蔵=平戸出身で当初はキリシタン、禁教時代に仏教徒となりキリシタンの弾圧を激しく行なった代官)に命じて比叡山(天台宗の総本山)の鎮守・山王権現(当時は神仏習合、現・日吉大社)の分霊を勧請して創建したと伝えられています。
その後、江戸時代を通じて、白巌山観音院円福寺という寺でした。
明治の神仏分離、廃仏毀釈で円福寺を廃して日吉神社となり、明治14年、村社・山王神社(日吉神社)と県社・皇大神宮が合併しています(浦上皇大神宮、山王日吉神社とも称しています)。

秋の例祭(10月17日)で奉納される『浦上くんち』は「浦上九日」で、元来は山王権現の祭典。

山王神社
名称 山王神社/さんのうじんじゃ
所在地 長崎県長崎市坂本2-6-56
関連HP 山王神社公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅から路面電車で11分、大学病院前下車、徒歩10分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約7km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 山王神社 TEL:095-844-1415
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

坂本国際墓地

長崎県長崎市坂本町・目覚町にある外国人墓地が、坂本国際墓地。明治21年に開設された外国人墓地で、墓地にはトーマス・グラバー、グラバー・ツル夫妻、その息子の倉場富三郎・ワカ夫妻も眠っています(新坂本国際墓地に埋葬)。埋葬者も多様なため、500

長崎原爆資料館

爆心地に近い長崎県長崎市平野町にある一般市民にも多くの犠牲者を出した原爆の惨禍を今に伝えるミュージアムが長崎原爆資料館。昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆。記録映画の上映をはじめ、瓊浦中学校の給水タンク、火の見やぐらなど、当時実際に被

 

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