長崎県島原市にある島原藩主・松平忠誠(まつだいらただなり)が幕末に築いた御薬園跡が旧島原藩薬園跡。奈良の森野旧薬園(森野吉野葛本舗/奈良県宇陀市)、鹿児島の佐田旧薬園(鹿児島県肝属郡南大隅町)とともに「日本三大薬園跡」の一つに数えられています。
島原藩主・松平忠誠が築いた御薬園の跡
島原藩主・松平忠誠(まつだいらただなり)は、天保13年(1842年)、シーボルトの門人で豊前国佐田村(飛び地で島原領)の賀来佐一郎(かくすけいちろう=長崎で西洋医学と植物学をシーボルトに学び豊前安心院で医師として開業)を招き、島原藩の医学校「済衆館」(済衆=民衆を助けるの意)の薬園に薬草を栽培させましたが、手狭な上に薬草の栽培には条件が悪かったため、弘化3年(1846年)、眉山の麓に薬園を開墾させました。
これが現存する旧島原藩薬園跡。
東、西、北の三方を石垣で囲み、南側は堤防で、内部に段々畑を造成していました。
敷地の西南隅に薬園方詰所が建ち、詰所の南手にある石の祠は薬師如来を祀ったもの。
寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)で城下が埋没、さらには天保の大飢饉などで島原藩の経済は大きく疲弊し、薬草を他の藩に販売することで、経済再生への活路を見出そうとしたのです。
弘化3年(1846年)に開園しますが、20年ほどで明治維新を迎えてしまい、明治2年に廃園となっています。
石垣、屋敷跡、建物跡、貯蔵穴、貯水槽などが復元され、当時の面影を再現。
1haほどの園内には、シャクヤク、サンショウ、イノバラ、カギカズラなどの薬草や、ウメや柚子、アオダモなどの樹木が植栽され、往時の姿を偲ばせてくれます。
山間部だったため水の確保に非常に苦労したようで貯水槽跡なども見つかっています。
島原城からは車で10分ほどなので、時間があればぜひ寄り道を。
旧島原藩薬園跡 | |
名称 | 旧島原藩薬園跡/きゅうしまばらはんやくえんあと |
所在地 | 長崎県島原市小山町4703 |
関連HP | 島原市公式ホームページ |
電車・バスで | 島原鉄道島原駅から徒歩30分 |
ドライブで | 長崎自動車道諫早ICから約40km |
駐車場 | 11台/無料 |
問い合わせ | 旧島原藩薬園跡 TEL:0957-63-4853 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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