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釜山神社

釜山神社

長崎県佐世保市三川内町、三川内皿山の氏神である天満宮の境内社が釜山神社(かまやまじんじゃ)。今村弥次兵衛(磁器を確立、陶祖神社に祀られる)とともに、三川内焼の陶祖のひとりが朝鮮人女性陶工・高麗媼(こうらいばば)で、釜山神社の祭神として祀られています。

三川内焼の陶祖女性陶工・高麗媼を祀る

豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した朝鮮の役で、出兵した諸大名は、本国に戻る際に、陶工などの技術者を連れ帰り、九州各地に窯場が開かれています(日本より朝鮮のほうが技術に優れ、とくに白磁に関しては日本には焼成する技術がありませんでした)。

三川内焼の発展に大きな影響を及ぼしたのは高麗媼(こうらいばば)、巨関(こせき)というふたりの朝鮮人陶工で、寛文12年(1670年)に100歳という天寿をまっとうしてこの世を去った高麗媼は、「棺を燃やして煙が地を這ったらこの地へ埋葬し、天へ上ったらお骨を朝鮮半島に帰してくれ」という遺言を残しますが、なんと煙は地を這ったため、この地に祀られることになったのです。

朝鮮人陶工の高麗媼は、唐津領南波多の椎ノ峰 (しいのみね=現・佐賀県伊万里市南波多町) の中里茂右ヱ門(なかざともえもん)に嫁ぎ、中里嫛(なかざとえい)を名乗って夫とともに陶器作りに従事します。
夫と死別したこともあって元和8年(1622年)、9歳になった息子・中里茂右衛門を連れて、三川内に移って長葉山に窯を開きます。

藁灰(わらばい)を使って陶器を焼くなど、それまで三川内にはなかった手法で焼物を作り、さらに寛永6年(1629年)、茶の湯で用いる灰釉の茶碗を創製し、寛永11年(1634年)には朱泥の水指(みずさし/茶道具)を作陶しています。

ちなみに、『羽鳥慎一 モーニングショー』の「継ぐ女神」コーナーにも登場の平戸洸祥団右ヱ門窯は、その直系末裔の窯元で、第16代・中里森三郎氏の調査で、高麗媼が韓国・熊川(ウンチョン)出身の陶工だったことが、判明しています。
現在は、17代・中里団右ヱ門(一郎)さん、18代・中里太陽さんが逸品を生み出しています。

釜山神社
名称 釜山神社/かまやまじんじゃ
所在地 長崎県佐世保市三川内町
電車・バスで JR三河内駅から徒歩30分
ドライブで 西九州自動車道佐世保三川内ICから約6km
問い合わせ 佐世保観光情報センター TEL:0956-22-6630
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

陶祖神社

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佐世保市うつわ歴史館

長崎県佐世保市三川内本町にある陶器のミュージアムがうつわ歴史館。縄文時代から現代の三川内焼まで、焼き物の歴史や特徴、制作工程などを映像や模型で紹介、「うつわ」の観点から佐世保の歴史をたどることができます。とくに三川内焼の紹介は充実しています

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長崎県佐世保市三川内町、明治32年、三川内焼(みかわちやき)の高い技術を後世に伝えるために開設した施設が三川内陶磁器意匠伝習所。三川内皿山地区には、三川内陶磁器意匠伝習所跡が残され(案内板があるのみ)、散策途中に立ち寄ることができます。豊島

 

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