長崎県平戸市は、中国や朝鮮半島との交流が盛んでしたが、江戸時代には1609年、東インド会社が平戸オランダ商館を開設。この商館建設を徳川家康に助言したのが、エミー賞18冠獲得の『SHOGUN 将軍』で再注目の三浦按針(ウィリアム・アダムス)。平戸歴史の道には、三浦按針像が立っています。
三浦按針は、平戸オランダ商館の建設にも尽力
オランダ船デ・リーフデの航海長だったウィリアム・アダムス(William Adams)は、関ヶ原の戦いの半年前、慶長5年3月16日(1600年4月29日)、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)の黒島に漂着。
日本にいたイエズス会の宣教師(ポルトガ人など)たちは、対立するプロテスタントの国ということで処刑を要求しますが(イエズス会は家康に海賊船だと進言)、豊臣秀頼は判断をせず、代わって五大老首座の徳川家康が指示、家康と接見することに。
その後、何度か会見した後に、イエズス会の態度に疑問をもつようになり、江戸に召喚。
その後、願い出た帰国は叶いませんが、家康のもとで伊東に日本で初めての造船ドックを設けるなど頭角を表します。
家康は、アダムスを囲い込むため、250石取りの旗本に取り立て、三浦半島の相模国逸見(現・神奈川県横須賀市)に領地を与え、三浦按針(按針=水先案内人のこと)と名乗ることに。
慶長14年(1609年)、三浦按針の尽力で日本とオランダとの国交が結ばれると、オランダ商館の設置にも尽力、イギリスの商船の初来日、ついにリチャード・コックスを商館長とするイギリス商館(イギリス東インド会社日本支店)の開設も実現するのです。
家康の死後、徳川秀忠は三浦按針の助言を聞き入れず、少し不遇になりながら、平戸で没しています。
平戸には三浦按針の墓(後世に築かれたもので、本来の墓所は不明)もありますが、歴史の道のモニュメント群に三浦按針(ウイリアム・アダムス)像が建立。
リチャード・コックス初代英国商館長、ジャックス・スペックス初代オランダ商館長の像、フランシスコ・ザビエル像、鉄砲伝来に関わった明代の貿易商人・王直とともに、ヨーロッパに開かれた国際貿易港だった平戸の歴史を今に伝えています。
平戸歴史の道・三浦按針像 | |
名称 | 平戸歴史の道・三浦按針像/ひらどれきしのみち・みうらあんじんぞう |
所在地 | 長崎県平戸市崎方町 |
電車・バスで | JR佐世保駅前から西肥自動車バス平戸桟橋行きで1時間25分、終点下車、徒歩5分 |
ドライブで | 西九州自動車道(武雄佐世保道路)佐世保みなとICから約36km |
駐車場 | 平戸港交流広場駐車場(50台/2時間まで無料、以降有料) |
問い合わせ | 平戸市観光課 TEL:0950-22-4111 |
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