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仲宗根豊見親の墓

仲宗根豊見親の墓

沖縄県宮古市、宮古島にの玄関口、宮古港近くにあるのが仲宗根豊見親の墓(なかそねとぅいみやのはか)。15世紀末〜16世紀初め頃に宮古を治めていたのが仲宗根豊見親。琉球王府から認定された宮古島の首長で、1500年、琉球王国に反乱を起こした、八重山のオヤケアカハチを討った英雄です。

仲宗根豊見親を祖とする忠導氏(ちゅうどううじ)一門の墓

1500年に起こったオヤケアカハチの乱は、石垣島の大浜村(現在の石垣市大浜)を根拠地とした豪族・オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂、於屋計赤蜂)の琉球王国(中山)に対しする反乱。
琉球正史には赤蜂征伐と記録され、中山に恭順する仲宗根豊見親が最前線で船団を先導し、首尾よく討ち取ったので英雄視されています(逆に琉球の侵攻を防ごうとしたオヤケアカハチは石垣島の英雄的存在)。

仲宗根豊見親の墓は、18世紀半ばに築かれた沖縄本島の横穴式と宮古島独特の「ミャーカ」と呼ばれる巨石墓との折衷様式で造られた巨大な石造墳墓。
仲宗根豊見親の墓の隣には、アトンマ墓(歴代の後妻)の墓(19世紀前期の築造)、知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみや/仲宗根豊見親の三男)の墓があり、3の墓が豊見親墓(とぅいみやーはか)として国の重要文化財に指定。
ちなみに豊見親とは「名高き親」という意味です。

宮古島の開闢(かいびゃく)神話を伝える聖地・漲水御嶽(はりみずうたき)の石垣は、オヤケアカハチの乱時に戦勝を祈念し、無事に勝利を収めたお礼に仲宗根豊見親が築いたと伝えられています。

仲宗根豊見親の墓
名称 仲宗根豊見親の墓/なかそねとぅいみやのはか
所在地 沖縄県宮古島市平良西仲宗根3-4
関連HP 宮古島市教育委員会公式ホームページ
電車・バスで 平良港から徒歩5分。または宮古空港からタクシーで10分
ドライブで 宮古空港から約5km
駐車場 なし/平良港、宮古島市役所などを利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

漲水御嶽

沖縄県宮古島市平良(ひらら)地区の中心部にある宮古島創世の神話「人蛇婚伝説」が伝わる御嶽(うたき)が、漲水御嶽(はりみずうたき)。宮古島の方言で、「ぴゃるみずうたき」と呼ばれ、宮古島創造神の男神・古意角(こいつの)と女神・姑意玉(こいたま)

砂山ビーチ

沖縄県宮古島市、宮古島の北部、下崎地区の北端、下崎神社横の道をさらに北へと進んだ場所にある人気のビーチが、砂山ビーチ。その名の通り駐車場から砂山を越えた先にビーチがあり、洞門となった海蝕洞がアクセントとなって、沖縄らしい光景が展開します。

 

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