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ひめゆりの塔

ひめゆりの塔

沖縄県糸満市、沖縄戦で最後の激戦が行なわれ、米軍のガス弾攻撃で全滅した旧陸軍伊原第三外科壕跡に立つ慰霊碑が有名なひめゆりの塔。沖縄戦中、看護要員として従軍し犠牲となった、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒(通称ひめゆり学徒隊)と教職員217人の名が刻まれています。

ひめゆり学徒隊の悲惨な最後を今に伝える塔

「ひめゆり」は、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた「姫百合」に由来(花のヒメユリとは関係ありません)。

ひめゆりの塔と慰霊碑の間には、沖縄陸軍病院第三外科が置かれた地下壕の入口があります。
1945年3月24日、南風原にあった沖縄陸軍病院に看護要員として教師18名、生徒222名が動員されますが、アメリカ軍の地形が変わるほどの艦砲射撃などを受けて、5月25日には回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りに、動くことのできる負傷兵は前線に戻し、陸軍病院を地下壕などに潜伏させました。
6月18日に突然、動員された学徒は解散の命を受けますが、すでに沖縄本土の大部分はアメリカ軍の占領下にあったのです。
こうして日本軍に見捨てられ、外に逃れることもできなくなった学徒たちは、第三外科壕に潜伏しますが、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、地下壕にいた96名、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡しています。
沖縄戦終結まで生き残ったのはわずかに5名(ひめゆり学徒隊4名、軍医が1名)という悲惨な結果となっています。

ひめゆりの塔の建立は終戦の翌年の1946年で、当時の真和志村(現在の那覇市真和志地区)村長で、学徒の遺族でもあった金城和信(きんじょうわしん=愛娘2人、金城信子・金城貞子をひめゆり学徒隊で失う)らが中心になり、村民が遺骨を収集、合祀したもの。
隣接して「ひめゆり平和祈念資料館」があり、犠牲者の遺影や遺品などを展示しています。

こうした学徒動員に伴う沖縄戦の悲劇、日本軍に見捨てられ、投降も許されない状況に追いやられた島民の惨状は、ひめゆり学徒隊だけにとどまりませんが、昭和28年に映画『ひめゆりの塔』(監督:今井正、主演:津島恵子、岡田英次)で一躍ひめゆりの塔が有名になったのです。

ひめゆりの塔
名称 ひめゆりの塔/ひめゆりのとう
所在地 沖縄県糸満市伊原671-1
関連HP ひめゆり平和祈念資料館公式ホームページ
電車・バスで 糸満バスターミナルから琉球バス玉泉洞・糸満線玉泉洞駐車場行きで15分、ひめゆりの塔前下車すぐ
ドライブで 那覇空港から約15.2km。那覇空港自動車道南風原南ICから約14.7km
駐車場 50台/無料
問い合わせ ひめゆり平和祈念資料館 TEL:098-997-2100/FAX:098-997-2102
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

ひめゆり学徒散華の跡

沖縄県糸満市束里、沖縄戦跡国定公園に指定される沖縄本島最南端・荒崎の海岸部にあるのが、ひめゆり学徒散華の跡(ひめゆりがくとさんげのあと)。島民をも巻き込んだ沖縄戦で、南へ南へと逃げた日本軍と住民ですが、降り注ぐ弾雨のなか、追い詰められたのが

 

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