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義本王の墓

義本王の墓

 沖縄県国頭郡国頭村、沖縄本島北端の辺戸岬近くの国道58号脇にある史跡が、義本王の墓(ぎほんおうのはか)。義本王とは沖縄最初の実在王統・舜天(しゅんてん)の孫に当たる人物で、1249~1259年に在位した王。『中山世譜』など琉球の歴史書にも登場する王で、墓は明治初年に尚家が建立したもの。

辺戸岬近くの国道58号脇にある史跡

義本王の墓と伝わるのはこの辺戸以外にも伊地、佐手、中城村仲順と4ヶ所あり、また喜界島へ隠れたという伝説も残されています。

琉球の正史(史書)で、初代琉球国王に位置づけられるのが、舜天。
ただし、舜天の実在を証明する史料はなく、あくまで伝説上の人物で、舜天王統も実在しない王統とするのが通説です。

しかも明の永楽帝が冊封使を派遣し、武寧を中山王(ちゅうざんおう)に冊封したのが、正式の王制開始とするならば、それは1404年(明では永楽2年)で、それ以前の王は、正式には按司(あじ)ということになります。

琉球王国の正史『中山世鑑』や、『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、12世紀、源為朝(みなもとのためとも)が八丈島から琉球に逃れて琉球王家の始祖・舜天になったと記されています。
史実とはいえませんが、義経北行伝説に似た、為朝南行伝説が沖縄には残されているのです。

義本王の墓
名称 義本王の墓/ぎほんおうのはか
所在地 沖縄県国頭郡国頭村辺戸
ドライブで 沖縄自動車道許田ICから約56km
駐車場 15台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

辺戸岬

沖縄本島最北端の岬が、国頭村(くにがみそん)の辺戸岬(へどみさき/沖縄県の最北端は、久米島町の硫黄鳥島)。快晴の日には大海原のはるかかなた22km先に与論島(鹿児島県)を眺望するビューポイントです。昭和47年の本土復帰前には沖縄はアメリカの

宇佐浜遺跡

沖縄県国頭郡国頭村、沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)の付け根にある遺跡が、宇佐浜遺跡(うざはまいせき)。沖縄貝塚時代中期(2400年~2100年前、縄文時代晩期)の遺跡で、貝塚、住居跡が発掘され、口縁部が肥厚した壺型土器(宇佐浜式土器)

 

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