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第50回大多喜お城まつり|2024

大多喜お城まつり

2024年10月12日(土)〜10月13日(日)、千葉県大多喜町で『第50回大多喜お城まつり』を開催。昭和50年に大多喜城(千葉県立中央博物館大多喜城分館)が再建されたのを記念して初開催されたイベント。日曜日に行なわれる本祭では、大多喜城から武者行列が出陣。

本多忠勝の一行に扮した武者行列や神輿が城下町に集結

10月12日(土)前夜祭(県道大多喜里見線桜台交差点~猿稲交差点)
17:00〜20:00

メインストリートの城下町通りを夜間歩行者天国として、キャンドルカップに光を入れた城下光アート展を実施。
上総中野山水神神社お囃子保存会、大多喜ファンデーションによるダンスなどのパフォーマンスも。

10月13日(日)本祭(B&G海洋センター野球場)
10:00〜16:00

本多忠勝の一行に扮した武者行列や神輿が城下町に集結し、手作りの甲冑を身に着けた甲冑隊や鉄砲隊などによるパレードが大多喜小学校から市街地を練り歩きます(大多喜城13:00出陣)。

メイン会場(B&G海洋センター野球場)では、保育園児によるダンスの発表、茂原中の島太鼓などが行なわれます。

本多忠勝と大多喜城

大多喜城(おおたきじょう)は大永元年(1521年)に真里谷信清が小田喜城として築いたのが始まり。その後、里見氏配下の正木時茂が奪取して時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による徳川家康の関八州移封により、家康は江戸城を居城とし、有力な家臣を重要な支城に配置しました。上総国大多喜10万石には徳川四天王の一人、本多忠勝を配しました。
本多忠勝は大多喜城を近世的な城郭として整備し、城下町も発展しました。
同様に10万石クラスだと、箕輪(後に高崎)の井伊直政(遠江国井伊谷の出身ながら「三河岡崎御普代」扱いされた武将、徳川四天王)、館林の榊原康政(徳川四天王)、結城兼常陸国内土浦の結城秀康(徳川家康の次男)くらいですから、いかに大多喜が戦略的に重要な拠点だったがよくわかります。
ちなみに徳川四天王とは、徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人の武将。家康第一の功臣として称えられている酒井忠次は、天正16年(1588年)10月、長男の家次に家督を譲って隠居しており、家康関東移封時には京で隠居生活を送っています。
徳川時代には、大多喜藩の藩庁として機能し、本多家、阿部家、青山家などが城主を務め、松平家が9代にわたって城主となって明治維新を迎えています。
明治4年7月、廃藩置県とともに大多喜城は廃城となり、城内の建造物はすべて破却。昭和41年、県史跡「上総大多喜城本丸跡」として指定され、昭和50年に大多喜城(現・千葉県立中央博物館大多喜城分館)が建設されました。

本多忠勝が築いたのは3層4階の天守。現在の模擬天守は天保6年(1835年)の図面を基に再建されたもの
第50回大多喜お城まつり|2024
開催日2024年10月12日(土)〜10月13日(日)、雨天中止
所在地千葉県夷隅郡大多喜町
場所前夜祭10月12日(土)大多喜幹部交番前〜桜台交差点・桜谷寺
本祭10月13日(日)B&G海洋センター野球場、市街地ほか
関連HP大多喜町公式ホームページ
電車・バスでいすみ鉄道大多喜駅から徒歩7分で大多喜城
問い合わせ大多喜町観光協会 TEL:0470-80-1146/FAX:0470-82-6860
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)

千葉県大多喜町にあった大多喜城は、戦国時代から江戸時代かけて存在した平山城。その本丸跡に建ち、天保6年(1835年)の図面を基にしての図面を基に復元した建物が、千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)。「房総の城と城下町」を常設展のテーマ

大多喜さくらまつり|2020

2020年4月4日(土)~4月5日(日) 10:00~15:00、千葉県大多喜町の大多喜城などで『大多喜さくらまつり』が開催されます。徳川四天王の一人、本多忠勝(ほんだただかつ)の居城となった大多喜城(千葉県立中央博物館大多喜城分館)の白壁

 

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