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水間寺

水間寺

大阪府貝塚市にある天台宗別格本山が水間寺(みずまでら)。天平16年(744年)、聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝えられる古刹で、厄除けの観音様として府下一円に名高い名刹。蕎原川(そぶらがわ)と秬谷川(きびたにがわ)の合流地点にあることがその名の由来です。

井原西鶴『日本永代蔵』の「利生の銭」でも有名

天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州攻め(根来衆との戦い)の際、根来衆に与したため、秀吉軍の兵火により伽藍は焼失。
江戸時代に岸和田藩主岡部氏 の帰依を受け、再興しています。
江戸時代初期の貞享5年(1688年)刊行の井原西鶴『日本永代蔵』第1話「初午は乗て来る仕合」に、「泉州水間寺利生の銭」(廻船問屋が1貫の「利生の銭」を借りて帰り、13年後に三重塔を寄進した話)が紹介され、参詣者が増加しました。

利生(りしょう)とは、仏が衆生(しゅじょう)に与える利益のこと。
水間寺に初午の日に参詣し、翌年の初午の日にはこの利生の銭を倍額にして返すという風習で、こうして仏縁を結びご利益を頂戴する習わしがあるのです。

参詣者の増加を背景に、大正14年、水間鉄道水間線(貝塚駅〜水間観音駅)が開業しています。

現在は、初午の日(旧暦で実施)に祈祷を受けると、「利生銭入り餅」が授与される仕組み。

現存する本堂は、文化8年(1811年)、和泉国岸和田藩9代藩主・岡部長慎(おかべながちか)が再建したもので、貝塚市の文化財に指定。
三重塔も天保5年(1834年)、岡部長愼の再建です。
本堂は大阪府では最大級の規模を誇る堂々たるもの。

昭和36年には『悪名』(あくみょう/昭和35年)など小説家としても有名な今東光(こんとうこう)和尚が63歳の時に住職を務め、昭和40年に天台宗東北大本山中尊寺の貫主に就任しています(昭和43年に自由民主党から参議院全国区に立候補して当選)。

水間寺
名称 水間寺/みずまでら
所在地 大阪府貝塚市水間638
関連HP 水間寺公式ホームページ
電車・バスで 水間鉄道水間駅から徒歩10分
ドライブで 阪和自動車道貝塚ICから約1.5km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 水間寺 TEL:072-446-1355
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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