戦国時代、堺は対明貿易や南蛮貿易の拠点となる貿易港として黄金時代を迎え、世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。その後、大和川の付け替えで一時衰退しますが、江戸商人吉川俵右衛門などが湊を築き、新たな時代を迎えています。それが堺旧港で、臨海工業地帯となった今では、旧堺灯台などに往時をしのばせています。
江戸時代に吉川俵右衛門が湊を築く
中世に自由貿易都市の玄関口として繁栄した堺の湊は、1704(宝永元)年の大和川の付け替えによる大量の土砂の堆積(現在の南島町、松屋町、山本町などが新田開発されました)、1730(享保15)年、堺沖に270mの石堤が完成したことなどによって港湾機能を失います。
1792(寛政4)年、江戸浅草の材木商・吉川俵右衛門によって、20年を費やして市之町沖に大波止(現・大浜北町)と小波止(現・北波止町)が整備され、市之町~中之町(現・堺市堺区南半町南半町)まで内川(濠)を掘削します。
この堺旧港の完成で、市街地は四方を濠によって囲まれる完全な環濠都市となったのです。
そして古代に古墳に納められた鉄製の武具や馬具も堺で作られたていましたが、その伝統が、鉄砲鍛冶へとつながっていました。
江戸時代に、堺湊として機能した港湾部(堺旧港)は、明治21年に難波~堺間を結ぶ阪堺鉄道(現・南海電鉄南海本線)が敷設され、大浜公園(明治21年に開設)を中心に、東洋一を誇った堺水族館(明治36年)、大浜公会堂(明治45年)、劇場や遊技場も完備した大浜潮湯(大正2年)、料亭などが並んで繁栄しました。
昭和9年の室戸台風、第二次世界大戦の戦災や、昭和32年からの臨海工業地帯造成によって往時の雰囲気は失われています。
堺旧港エリアには、江戸時代から残る石積み護岸が現存するほか、堺旧港親水プロムナード、壁面アート 「浪漫やさかい」(縦11m、横155m)が整備され、平成12年には旧堺港北湾戸から港内に突き出た北波止突堤の付け根に堺水族館のシンボルだった龍女神像(乙姫像)が復元されています。
堺旧港 | |
名称 | 堺旧港/さかいきゅうこう |
所在地 | 大阪府堺市堺区北波止町、大浜北町5丁ほか |
関連HP | 堺市公式ホームページ |
電車・バスで | 南海本線堺駅から徒歩15分 |
ドライブで | 阪神高速4号湾岸線大浜出口からすぐ大浜公園駐車場 |
駐車場 | 大浜公園駐車場(265台/有料) |
問い合わせ | 堺市建築都市局都市再生部臨海整備課 TEL:072-228-8033/FAX:072-228-8034 |
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