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春日向山古墳(用明天皇陵)

春日向山古墳(用明天皇陵)

大阪府南河内郡太子町にある巨大な方墳が春日向山古墳(かすがむかいやまこふん)。天皇陵の多い磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん)を構成する古墳のひとつで、宮内庁により河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)として第31代用明天皇の陵墓に治定されています(ただし考古学的には被葬者は判明していません)。

用明天皇陵なら、天皇陵として初の方墳に

東西65m、南北60m、高さ10mで、3段構成になり、その規模は、方墳としては国内第5位の大きさです(同じ太子町の葉室塚古墳は国内3位の方墳)。
墳丘周囲には幅7mの空壕が巡らされ、その堤までをいれると古墳全長は東西100m、南北90mにも及び、天皇陵であることの裏付けにもなっています。
古墳形態としては蘇我馬子の墓と推測される石舞台古墳(奈良県明日香村/7世紀初頭)に似ています。
天皇陵であるため、宮内省が管理し、拝所から眺めるだけとなります。

用明天皇は、『日本書紀には、用明天皇2年4月に崩御し、7月にいったん「磐余池上陵」に葬られ、推古天皇元年(593年)に「河内磯長陵」に改葬されたと記されています。
また『古事記』では「御陵在石寸掖上、後遷科長中陵也」(掖上は池上の誤写)とありますが、初葬地の「磐余池上陵」・「「御陵在石寸掖上」がどこにあったかは不明です。

もし、春日向山古墳が宮内庁が治定する用明天皇陵だとすれば、天皇陵としては初の方墳ということになります。
ちなみに先代となる30代敏達天皇(びだつてんのう/物部守屋が大連、蘇我馬子が大臣)は、同じ太子町の太子西山古墳(前方後円墳)に治定されています。

ちなみに、平成24年2月、日本考古学協会など16学会の研究者が春日向山古墳と、宮内庁が推古天皇陵に治定する山田高塚古墳の立ち入り調査を実施(宮内庁が両陵墓の墳丘外側に限って観察を許可)。
墳頂部は、春日向山古墳がピラミッド形、山田高塚古墳が平らであることが確認されています。

名称 春日向山古墳(用明天皇陵)/かすがむかいやまこふん
所在地 大阪府南河内郡太子町春日
関連HP 太子町公式ホームページ
ドライブで 南阪奈道路羽曳野東ICから約3km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

葉室塚古墳(越前塚古墳)

大阪府南河内郡太子町にある方墳が葉室塚古墳(はむろづかこふん)。越前塚古墳(こしまえづかこふん)とも呼ばれ、東西75m、南北55m、高さ8mで、全国3位の規模を誇る方墳です。築造時期は7世紀前半と推定され、墳丘規模は用明天皇陵(春日向山古墳

山田高塚古墳(推古天皇陵)

大阪府南河内郡太子町で巨大な方墳が山田高塚古墳(やまだたかつかこふん)。考古学的な被葬者は定かでありませんが、宮内庁から磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)・竹田皇子墓(たけだのみこのはか)として第33代推古天皇・竹田皇子(敏達天皇皇子)

 

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