大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の境に位置する標高487.5mの山、高安山(たかやすやま)の山上にある古代の城跡が、高安城(たかやすのき)。日本書紀の天智6年(667)条に記される古代山城の跡だと推測されています。
大和朝廷が対朝鮮の最終防衛線として築いた古代の山城
天智2年8月(663年10月)、朝鮮半島の白村江で、百済復興を目指す倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の白村江の戦い(はくすきえのたたかい)が勃発。
唐・新羅の連合軍に敗北した大和朝廷(天智天皇)は、高安山を王城の地・飛鳥を守る最後の砦と考え、高安城を築いたと推測されています。
高安山山頂の北西300m(標高380m付近)で花崗岩を二段積みした石垣が100mほど続いているのが発見され、これが高安城の遺構。
城域は南北2.1km、東西1.2kmにおよぶ広大なもので、山頂の三角点の場所が烽火台のあった場所だと推定されています。
北九州や瀬戸内海にも白村江の戦いでの敗戦後に多数の山城が構築されていますが(対馬の金田城、九州大宰府を守備する大野城や基肄城、瀬戸内の屋島城など)、朝廷が最終防衛線として築いたのが、この高安城で、古代国家のまさに最後の砦でした。
同時に天智天皇は、都を内陸側の、近江大津宮に遷都し、いざというときに備えてもいます。
天武元年(672年)、高安城は、壬申の乱(じんしんのらん=天智天皇の太子・大友皇子に対し、大海人皇子が挙兵し、反乱軍が勝利、大海人皇子が天武天皇として即位するという古代日本最大の内乱)の合戦の舞台にもなりましたが、律令国家の誕生とともに大宝元年(701年)には廃止され、和銅5年(712年)には烽火台も破却されています。
高安城 | |
名称 | 高安城/たかやすのき |
所在地 | 大阪府八尾市服部川・奈良県生駒郡平群町 |
電車・バスで | 近鉄西信貴ケーブル高安山駅から徒歩25分 |
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