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山畑22号墳

山畑22号墳

大阪府東大阪市客坊町、東大阪市立郷土博物館のすぐ東側にあるのが、山畑22号墳(やまはたにじゅうにごうふん)。6世紀後半〜7世紀初頭に築造された山畑古墳群(70基ほどが現存)の1基で、東西に円丘をもつ双円墳でしたが現在は東丘は消滅し、西側の墳丘だけ現存しています。

馬の生産を専業とする渡来系集団の墓!?

山畑22号墳の直径15m、墳丘高4.5mの西丘には、横穴石室が現存。
発掘調査で須恵器、鉄鏃、馬具、製塩土器(馬などの家畜に塩を与えるために必要だった土器)などが出土し、隣接する東大阪市立郷土博物館に収蔵展示されています。
人物や動物の小像のついた装飾付須恵器は、新羅との関係も指摘され、馬を飼育していた渡来人系の墓である根拠にもなっています。

東大阪市立郷土博物館の南200mほどに位置する山畑2号墳は、上円下方墳で全長16.6mを測る横穴式石室が現存。
明治時代に日本考古学の父と呼ばれるウィリアム・ゴーランド(William Gowland=「日本アルプス」の命名者)が調査しています(「河内地方、四条村所在古墳」として7基を計測)。

東大阪市の山畑古墳群、八尾市の高安古墳群、柏原市の平尾山古墳群、河南町・太子町の一須賀古墳群は河内の四大群集墳と呼ばれています。
一帯は、古代のヤマト王権のあった大和地方と生駒山地を挟んで隣接し、舟運で西日本や大陸と結ばれるという交通の要衝。
大和川・淀川の両河川によって形成されたデルタ地帯でもあるため、弥生時代以降、肥沃な土地を利用して稲作なども行なわれていました。
また、6世紀には河内に馬の生産を専業とする集団が存在し、「河内の牧」を営んでいたこともわかっています。
朝鮮半島との軍事的な衝突を前提に、馬の生産拠点が構築され、それに関連する人々がこの地に住み、群集墓を築いたと考えられています。

山畑22号墳
名称 山畑22号墳/やまはたにじゅうにごうふん
所在地 大阪府東大阪市客坊町12-31
関連HP 東大阪市立郷土博物館公式ホームページ
電車・バスで 近鉄奈良線瓢箪山駅から徒歩20分
駐車場 東大阪市立郷土博物館駐車場を利用
問い合わせ 東大阪市立郷土博物館 TEL:072-984-6341/FAX:072-986-1432
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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