大阪府大阪市福島区大開1丁目、阪神・野田駅の西側、大開公園の北西側入口にあるのが、松下幸之助創業の地記念碑(パナソニック発祥の地)。表面に「松下幸之助創業の地」と刻まれ、裏面に松下幸之助の詞『道』が記された記念碑が立ち、この地がパナソニックグループのルーツであることを示しています。
松下電気器具製作所を創立、妻と義弟と3人で事業を開始した地
松下幸之助創業の地記念碑(パナソニック発祥の地)脇には、「松下幸之助 創業の地」由来書、 「創業の地 周辺地図」も掲示され、一帯に「松下電気器具製作所」の創業時の建物、第一次本店・工場の建物、第二次本店・工場、第二工場(ランプ組立工場)のあった場所が示されています。
松下幸之助は、明治27年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現・和歌山市禰宜)に、小地主の松下政楠・とく枝の三男として生誕。
五代自転車で奉公し、その奉公時代に寿屋(サントリーの前身)・鳥井信治郎と出会い、経営の師としています。
大阪で明治36年に開通した路面電車に感動し、16歳で大阪電灯(現:関西電力)に入社。
当時、電球の取り外しにも専門知識が必要な危険な仕事だったことから、在職中に電球ソケットを考案しています。
22歳になった大正6年、大阪電灯を依願退職し、翌大正7年、大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)に1階3間、2階2間の2階建ての家を借り、1階の床を落として、作業場にし、2階を住居にして、松下電気器具製作所(現・パナソニックホールディングス)を創業。
松下幸之助は、妻と義弟(井植歳男氏=後に三洋電機を創業)と3人で、事業を始めました。
最初に製造販売したのは、電気器具の「アタッチメントプラグ」(通称「アタチン」、電化製品のコードを電灯ソケットにつなぐための接続器具)で、斬新でしかも市価よりも3割ほど安かったことからよく売れたのだとか。
続いて考案した「2灯用差込みプラグ」(大正9年)もヒットし、順調に事業は立ち上がりました。
カンテラ式で取り外し可能な自転車用電池ランプ(大正12年)、ナショナルランプ(昭和2年)と続きます。
ナショナルランプは、コンパクトな角形で、手提げ用としても使用可能なランプに初めてナショナル商標が付けられ、自ら考えた「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」とPRされました。
さらに昭和2年に電熱部を立ち上げ、電気アイロンの開発に着手、スーパーアイロン、電気ストーブ、電気コタツと家電メーカーへの進化が始まり、昭和4年、松下電器製作所と改称しています。
松下幸之助『道』
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広いときもある。
狭いときもある。
のぼりもあればくだりもある。
坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。
この道がはたしてよいのか悪いのか、思案に余るときもあろう。
慰めを求めたくなるときもあろう。
しかし、しょせんはこの道しかないのではないか。
あきらめろというのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
松下幸之助創業の地記念碑(パナソニック発祥の地) | |
名称 | 松下幸之助創業の地記念碑(パナソニック発祥の地)/まつしたこうのすけそうごうのちきねんひ(ぱなそにっくはっしょうのち) |
所在地 | 大阪府大阪市福島区大開1‐18−25 |
電車・バスで | 阪神電車阪神野田駅 、大阪メトロ野田阪神駅、JR海老江駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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