大阪府三島郡島本町にある古代律令制度下の駅家(えきか、うまや)の跡が、史跡桜井駅跡。歴史文学の大著『太平記』に延元元年・建武3年(1336年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)率いる大軍を湊川で迎え撃つため京を発った楠木正成がここ桜井の地で子・楠木正行と別れたと記される楠木正成伝説地にもなっています。
楠木正成が、湊川の決戦直前に嫡男・正行と別れた地
京から西宮へ出る西国街道に設けられた駅で、『太平記』巻16「正成兵庫に下向の事」に、南北朝時代の延元元年・建武3年(1336年)、湊川の戦いで足利尊氏と激戦を繰り広げた楠木正成が、「桜井の別れ」で、嫡男・楠木正行を河内国に戻したと記されています。
明治維新後、楠木正成が勤王思想のシンボルとして崇められるようになり、大正2年には史跡桜井駅跡にも陸軍大将・乃木希典筆「楠公父子訣別之所」の碑が建立されています。
さらに昭和10年には『大楠公六百年記念大祭』が盛大に開かれ、来賓送迎のため、駅跡地点に臨時仮設停車場も設けられました(忠臣として楠木正成が顕彰され、政治的に利用された時代でした)。
平成20年3月15日、JR東海道本線(京都線)・島本駅が開業し、駅前に史跡桜井駅跡があることから、森閑とした周辺の雰囲気が大きく変わっています。
史跡桜井駅跡(楠木正成伝説地)は史跡公園として整備され、駅跡の向かいには軍靴高鳴る昭和16年に桜井駅跡の記念館として建てられ麗天館(現「島本町立歴史文化資料館」)が建っています(建物は国の登録有形文化財)。
古代律令制度下での駅家は、諸道に15里(8km)〜30里(16km)ごとに設置された施設で、人馬の継立 (つぎたて)、宿泊、食事の提供などが行なわれました(注/古代の1里は550mほどで江戸時代の1里とは異なります)。
中国・唐の律令制度を真似て、中央集権国家をつくりあげる過程で、重要なのは地方との通信手段の確保でした。
そのため、駅路(主要道)沿いに乗り継ぎのための駅馬(えきば)を数頭から数十頭置く駅(路では20匹、中路10匹、小路5匹)を設置。
利用証の駅鈴(えきれい)保持する使者は、ここに泊まったり、馬を乗り換えたりできたのです(
この駅には馬偏が付いて「うまや」と称しました)。
史跡桜井駅跡(楠木正成伝説地) | |
名称 | 史跡桜井駅跡(楠木正成伝説地)/しせきさくらいえきあと(くすのきまさしげでんせつち) |
所在地 | 大阪府三島郡島本町桜井1丁目 |
関連HP | 島本町公式ホームページ |
電車・バスで | JR島本駅から徒歩すぐ |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag