サイトアイコン ニッポン旅マガジン

坂本龍馬、昭和30年代までは「意外に無名で、人気がなかった」!?

坂本龍馬

坂本龍馬が、実は戦前は無名で、実は戦後も昭和30年代まではあまり人気のない案外無名の存在だったといったら、驚くでしょうか。今では明治維新の立役者のように思われている坂本龍馬ですが、戦後に坂本龍馬を「発掘」し、英雄的なイメージを植え付けたのは作家・司馬遼太郎(しばりょうたろう)です

明治41年の「英雄番附」では58位に!

『冒険世界』付録「全世界英雄番附」(部分)

戦前の坂本龍馬の認知度をデータで示すことはなかなか難しいのですが、雑誌『冒険世界』(博文館、冒険小説作家・押川春浪が編集長)創刊号(明治42年1月1日刊)の付録「全世界英雄番附」が掲載されています(長野県須坂市「豪商の館田中本家博物館」蔵)。東洋と西洋に分かれた「番附」では、東洋の横綱は豊臣秀吉(西洋はナポレオン一世)、大関は成吉思汗(チンギスハーン)、以下、関脇・徳川家康、小結・西郷隆盛、前頭筆頭・北条時宗、前頭に秦の始皇帝、諸葛孔明、源頼朝、伊達政宗、織田信長が入っています。


「読者撰定」とあるので、あくまで読者投票ということで、東洋では豊臣秀吉、成吉思汗(チンギスハーン)、徳川家康、西郷隆盛がトップ4ということに。

現在人気の織田信長は10位に甘んじています。
坂本龍馬といえば、「前頭」のずいぶん下位、ランキングでいえば58位で、見落としかねない位置に付けています。

明治維新後に明治維新の立役者たちは顕彰され、さらに忠君愛国の風潮で楠木正成、坂上田村麻呂などが見直された世相ですが、豊臣秀吉、そして徳川幕府を誕生させた徳川家康、朝廷に反旗を翻した西郷隆盛、そして元寇の際の鎌倉幕府執権・北条時宗が上位に入っているのは少し意外な感じです。

織田信長の人気が10位というのも、現在の人気の背景に大河ドラマや時代劇での「活躍ぶり」が背景にあるのかもしれません。
維新関係では吉田松陰がようやく46位、高杉晋作が56位に甘んじています。

坂本龍馬を主人公にした小説は、明治16年の新聞小説『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)に掲載されたのが始まり。
高知の自由民権派の新聞『土陽新聞』 に掲載なので、まだまだ地方区の存在といった感じです。
次は昭和2年坂本中岡両先生銅像建設会が銅像建設費用を工面するために出版した今幡西衛(いまはたにしえ)の『雋傑坂本先生伝』で、やはり高知県ローカルの出版物です。

この次の坂本龍馬関連の小説は、昭和32年に山岡荘八が著した『坂本竜馬』。
さらに昭和37年〜昭和41年に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が産経新聞に連載されたことで、ようやく坂本龍馬がブレイクしたのです。

映画では無声映画時代の明治44年『坂本竜馬』(主演・尾上松之助)、昭和3年の『坂本竜馬』(主演・阪東妻三郎)、昭和14年『海援隊』(主演・月形龍之介)、昭和17年『『維新の曲』(主演・阪東妻三郎)と軍歌の足音の高まりと並行して坂本龍馬作品が制作されるようになっています。

最大のブレイクは、昭和43年のNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』(主演・北大路欣也)で、以降は誰もが知る「維新の立役者」となったのです。
その意味でも司馬遼太郎が坂本龍馬の果たした役割に着目、『竜馬がゆく』を著したことは大きなウエイトを占めていることがよくわかります。

取材協力/豪商の館田中本家博物館

明治41年の読者アンケートによる「全世界英雄番附」

坂本龍馬、昭和30年代までは「意外に無名で、人気がなかった」!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了