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尾高惇忠生家

尾高惇忠生家

埼玉県深谷市下手計(しもてばか)にあるのが尾高惇忠生家(おだかあつただせいか)。渋沢栄一の従兄(いとこ)で学問の師でもあるのが尾高惇忠。武蔵国榛沢郡下手計村(現・深谷市下手計)に名主の尾高勝五郎保孝の子として生まれ、大蔵省官僚となった渋沢栄一の縁で、富岡製糸場の初代場長を務めています。

「藍香ありてこそ栄一あり」の尾高惇忠の生家

尾高惇忠生家は、江戸時代後期に惇忠の曽祖父が建てたものと伝わり、幕末に尊皇攘夷思想に共鳴し、尾高惇忠や渋沢栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと伝わる部屋が2階に現存しています(非公開)。

レンガ倉庫には、渋沢栄一が築いた日本煉瓦製造(明治20年操業)を表す上敷免製の刻印を残すレンガが使われていることから、明治20年以降の築であることがわかります。

旧下手計村の鎮守、鹿島神社の境内には、尾高惇忠の功績を称えた藍香尾高翁頌徳碑(深谷市指定文化財)が立っています(題額は徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜の筆)。

ちなみに令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』では、早くから水戸学に傾倒し、渋沢栄一らに大きな影響を与えた尾高惇忠役を、田辺誠一が演じています。

尾高惇忠生家
名称 尾高惇忠生家/おだかあつただせいか
所在地 埼玉県深谷市下手計236
関連HP 深谷市公式ホームページ
電車・バスで JR深谷駅からタクシーで15分
ドライブで 関越自動車道寄居スマートICから約13km、花園ICから約16km
駐車場 あり
問い合わせ 渋沢栄一記念館 TEL:048-587-1100
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

渋沢栄一の師、尾高惇忠とは!?

若き日の渋沢栄一に大いに影響を与えた尾高惇忠(おだかあつただ)は、渋沢栄一の従兄弟(いとこ)で、義理の兄。富岡製糸場の初代場長をも務めています。深谷市には生家が現存し、尾高惇忠、渋沢栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと伝わる部屋が2階に残

 

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